法衣の色 縹色 はなだ色 と
  こうじ色
柑子色

藍の染料だけで染めた純粋な青が「縹色」
藍染めは毒虫やマムシが嫌う色として、身分に関係なく広く用いられた。
縹色にも段階があり、「濃縹(こきはなだ)」「中縹(なかのはなだ) 」「次縹(つぎのはなだ)」「浅縹(あさきはなだ)
さらに薄い藍染めは「浅葱(あさぎ)色」、もっとも薄は「瓶覗(かめのぞき)」
逆に深いのは「藍色」さらに濃いものが「紺色」である
柑子色は平安時代からあった色名
日本原産のミカンで柑子蜜柑
現在のミカン色は温州蜜柑のこと。
色は柑子色より少し赤みが強い。
柑子蜜柑の古名は橘


  隋の天台大師が煬帝から縹色の袖を賜った史実を基に、天台宗の宗祖最澄が正装の時かぶったものが、帽子(もうす)の起源と伝えられる。
伝教大師最澄つまり袖のような形のものを、高位の僧ほど耳を隠すように頭から
かぶったものであった。
かぶらない時は襟巻きのようにして用い、現在は白羽二重が一般的。
ここでは襟巻き型の帽子(もうす)ぼうし型の帽子もうす)を区別することが肝要である。
襟巻き型の帽子は襟帽(えりぼう)護襟(ごきん)とも呼ばれ、現在では僧侶の防寒用の被服として各宗派で広く用いられる。

 親鸞生存中に描かれた「鏡御影」の中の画像は、襟巻き型の帽子を着用している。色は木蘭色と伝えられている。
肖像が五条袈裟をかけており、正装でないところからすでに鎌倉時代に帽子が一般化していたことが伺われる。

親鸞の鏡御影  これを裏付ける資料として、芥川龍之介の「鼻」という短編小説の中に注目すべきものがある。
舞台は宇治の池の尾にある寺、主人公は長い鼻の持ち主禅智内供である。
「・・・だから内供の眼には紺の水冠も白の帷子も目に入らない。まして柑子色の帽子や、椎鈍の法衣などは、見慣れているだけに・・・」
宇治拾遺物語に題材を求め、写実主義で知られた作品に伺われる僧侶の装束の描写は、柑子色の帽子が一般的に用いられていたことを物語っている。
されば親鸞の帽子も柑子色であったものを、尊貴の念をこめて壊色である木蘭色に描いたものかもしれぬ。

※椎鈍・・・法衣という言葉がが続いているため作品には「しいにび」とかなを振るが、本来は「しいどん」のこと。「しいにび」と言えば椎の実で染めた鈍(にび)色のことであり、「しいどん」とは椎の実で染めた鈍色(どんじき)つまり、法服(僧服)のことである。
詳しくは鈍色(にびいろ)参照。
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