◆法衣の色(公開中) 法衣の部屋のドア 白蓮
  ◆法衣の形一部公開中)
  ◆衣着装法(一部公開中)
  ◇衣と文化 (近日公開予定
コラム 迷いの窓
白蓮



  衣という文字は幾通りにも読める。
法衣(ほうい)狩衣(かりぎぬ)三衣(さんね)律衣(りつえ)御衣(おんぞ)
衣(ころも)は「い」であったり、「きぬ」や「ね」だったり、「え」と読めるし、またある時は「ぞ」に変化するので一層分かりにくくなる。
また同じ衣でも宗派によって名称が異なること、口伝であったため読み方を替えたりすることも、理解を難しくする原因となっている。

  現在「法衣」と言えば僧侶が身につけるすべての被服を意味するが、本来は「三衣(さんね)」と呼ばれる長方形の三枚の布という素朴なものであった。
三枚の布はそれぞれ大衣、中衣、小衣と呼ばれ、大衣、中衣の横幅は両手幅よりやや広く、縦は首から足首まで、小衣の横幅は大衣、中衣と同様で、縦は腹部から足首までの長さである。
三衣の条件は以下の3つ。
   一、ボロ布であること。(体餞たいせん))
   二、よごれた壊色(えじき)であること(色餞(しきせん)
   三、裁断して価値をなくし、縫い合わせてあること(刀餞(とうせん)
つまり、糞掃衣(ふんぞうえ)(便所掃除にしか使いようのない布)や衲衣(のうえ)(ボロ布)、そして袈裟の語源である壊色(えじき)(錫の錆付いたような汚れた黒色や銅器に生じる青く錆びた色)であり、さらに捨てるような布を繋ぎ合わせた布。
これは欲や煩悩を離れた布で作った衣という意味で、法衣とはそもそも仏の説かれた教えに叶うその精神を表したものであった。
  裁断して縫い合わせた形が田園を彷彿とさせることから田相衣(でんそうえ)も呼ばれる。
装着の仕方は現在のインドのサリーに見られるように俗衣に近いものであった。
仏教がシルクロードを通って中国から北伝仏教としてわが国に伝えられた過程で、その形は気候風土や民族衣装、また思想の影響を受けて色や形が大きく変容していく。

しかしながら、現在日本では法衣がますます俗を離れ高額なものに荘厳されていく中で、布施(財施)と称して所望される僧侶が存在するのは如何なる事か!と法衣の由来を訪ねる時、嘆かわしい思いに襲われるのである。
真理に目覚めた人には、求めずともふさわしい衣が布施されるであろうし、目には見えずとも「知恵」というまばゆいばかりの法衣をまとわれている事は疑いもない。

  私の法衣の部屋の原点は、葬儀社在職中に衣を見ただけで宗派が判断できたら便利であろうとの単純な動機である。
絡子(らくす)(禅宗の五条袈裟)の後ろの縫い取りの形(正三角形、二等辺三角形、星形)で(それぞれ臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)宗派が判断できる事を知った時は、思わず嬉しくなり、自ずとお寺様とのお話しの幅も広がったのだった。
そのうち私の中の限りない好奇心の触手が始動することとなった。

  法衣の知識が在職中に役立ったことは言うまでもないが、今では仏像仏画を拝する時、絵画や能、雅楽を鑑賞する際に、あるいは古典を初めとした文学に親しむ折に、大いに楽しみを見出している。
少し知識を蓄えて物事を見てみると、日常そこにあったものは新たな命を吹き込まれたように世界が違って見えることがある。
このページを通して読者にも今まで気付かなかった世界を垣間見ていただくことが出来たら・・・というささやかな願いを込めて、静かに部屋の扉を開けることにしよう。

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