NO.89 マスク考(前編) 2006.1.16 |
テレビで「豪雪日本列島」という言葉を耳にした。 積雪3m以上という豪雪地帯にお住まいの方は毎日不安な夜を過ごされていると思うと、本当にお気の毒だ。 被害も拡大している。最も怖ろしいのは雪崩、次に屋根の雪下ろしの際の事故、そして屋根から落ちてきた雪や氷の塊に直撃されることだ。 今年の雪は水分を含んだ重たい雪である。いつもは暖房の熱で落ちていく雪が氷となって屋根に堆積し、家を軋ませる。雪の重みで倒壊してしまうというのだから凄い威力だ。 北国はトタン屋根だからまだよいが、瓦屋根の地域はどうするのだろう? すでに100名を超える尊い人命が失われている。孤立地帯で未だ救援を待ち望む人々も多い。然るに人間は自然の脅威の前には無力である。 「雪は天から送られた手紙である。」と言った人がいた。 こんなにどっと届けられては目を通す暇もない。 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。(三好達治「雪」より) あの優しい雪のイメージはどこへ行ってしまったのか? 果たして膨大な量の手紙の内容は愚かな人間への苦言なのか? 浄罪を促すかのごとく無情に雪は降りつむ。 道内でも除雪作業が追いついていないところが多い。 除雪費もとうに底をつき、災害認定を受けた地域もある。 ここ道南函館も昨年同時期の三倍の積雪量。しかも毎日真冬日と気温が低い。 早朝5時前から、連日のように除雪車の音が唸りを上げている。夜通しお仕事をされている方に頭が下がる。<どうか事故のないように!> 新聞配達の方も大変だ。外の門からかなり奥まった我が家のドアの郵便受けに直接新聞を配達してもらっている。雪が積もれば道はない。今朝も雪をこいで届けてくれているのだろう。 <頑張って!>とまだ雪明りだけが頼りの薄暗がりのお布団の中からつぶやく。 私の最低気温レコードは札幌で経験した−18℃である。 これぐらいになると、直接外気に触れる皮膚が硬直し、髪の生え際、まゆ毛、鼻毛など体毛がピンと突っ張るような不気味な感覚だ。 長じてから私は右耳だけ“スポックの耳”になり(つまりSFに登場するバルカン星人のように大きく立ち上がっていて友人から揶揄されていた)うっかりして帽子を被らずに外を歩こうものなら、たちまち髪の毛を掻き分けてのぞいている耳が霜焼けになって痛かった思い出がある。 真っ赤になって腫れ上がり、次第に痛痒くなるものの、中々治らないから厄介なのである。 今年は寒いだけではない。 過去にあまたの人命を奪ったスペイン風邪に匹敵するような新型インフルエンザ流行の兆しに戦戦恐恐としている。 風邪は万病の元とも言われるが、高齢者にとっては命取りともなりかねない。 「風邪を引いたら一発で終わり!」というのが老人たちの口癖である。 叔母は11月にインフルエンザの予防接種を受けているが安心はできない。 インフルエンザに限らず、風邪は喘息を誘発し、すぐに肺炎を引き起こすからだ。 去年からマスクをしている人が目につくようになった。 風邪を移さないためというよりも、主に予防と防寒のためである。 なるほどマスクは暖かい。 私も叔母の元へウイルスを持ち込まないように、外出時には必ずマスクをつけている。 何しろ叔母には人ごみは菌が多いという理由で主治医から「デパ地下禁止令」まで出ているのである。 ところで「マスク」の語源をご存知だろうか? 何とアラビア語で「道化師」という意味であった。 カタカナ語辞典には[mask] 1.面、仮面、仮面をつけて行う劇の意味。2.布のマスク。3.野球の捕手や審判員の防具。4.アイスホッケー、フェンシング、剣道等の防具、面。5.防毒マスク。6.顔・容姿。最後にデス・マスクとあった。 ちょっと余談だが、カタカナで書くと同じマスクのつくお馴染のものな〜んだ? 答えはマスクメロン。ただし、こちらは[musk]。 麝香鹿からとれる香料で高級香水の原料となるなっているムスク香がするということで、日本で最もポピュラーなネットメロンの通称である。 このムスクは官能的な香りがすることで知られている。香料の元となるのは雄の麝香鹿の生殖器と臍の中間にできる御椀を伏せたような袋状のもの。 残酷な話だが鹿を殺さないと取り出せず、取り出したばかりの匂いは死にそうなぐらい強烈であるという。 私の中ではムスクの香りとこのメロンとは必ずしも一致しないのだが・・・。 どちらかと言うとウオーターメロンと呼ばれるスイカに近い。 私は赤肉のメロンは食べられるがスイカだけはあの匂いゆえに食べられない。 だから、青いメロンも好まない。しかし、西瓜の香りがするといわれる香魚(鮎)は好物である。 横道に逸れてしまった。マスクメロンは読者のデザートにとっておいて本題に戻るとしよう。 先日私が日課として訪問している『オニオン』さんのブログ記事に「不可解なカタカナ語」というタイトルで綴られていた内容が面白かった。 私がカタカナ語辞典を常に手元に置いているのには理由がある。 よく横にいる叔母から新聞やテレビで使われているカタカナ語について質問されるからである。 ニュアンスとして分かっていることでも、いざ訳すとなると難しい。 世界に通用しないカタカナ語は日本人同士でも通じない。やはり変な言語だ! 少し前の話だが、芸能人同士の離婚で男優が喋っている内容が正に不可解なカタカナ語だらけで、全く意味不明であった。別に知りたくもないのでそれはよしとしても、最近耳につくのは政治家が高らかに掲げる「マニフェスト」。どうもカタカナ語ばかりが独り歩きして、具体的な政策が見えてこない。語源はドイツ語で宣言、声明書の意。明白であることが本義のはずだが・・・。 「政権公約」という訳はイギリスのそれを範としたものと聞くが、敢えてカタカナで表記する必要があるのだろうか?漢字よりカッコイイ響きという意図なのか、使う側がより意味のあることのように勘違いしているのか?いや、政治家という名の道化師が成せる業かもしれぬ。こうなるとカタカナ語自体がマスクの役目を果たしているように思えてならない。(NO.90へ続く) |