迷いの窓NO.90
マスク考
(後編)
2006.1.16
  さて、マスクをつけると世界が違って見えることがある。
そして<マスクをしている自分は自分だと世間に分かるのか?>と変なことを考えてしまう。
つまりは日常意識していない自分という存在をはっきりそこに認識することができる訳だ。
スーパーへ行くと、買い物に来ていた薬屋さんの奥さんが挨拶してくれた。(もちろん相手もマスクをしている。)
郵便局へ行ってみた。一瞬<どうかな?>と期待したが、局長がいつものように笑顔で奥から挨拶してくれた。<もちろんあなたが誰だか分かってますよ。>という感じでちょっとつまらなかった。

  マスクと言えば同年代の人に懐かしいのが子供の頃お茶の間のテレビに登場したヒーローたちではないだろうか?
月光仮面に七色仮面。どちらもどこの誰だか知らないおじさん?
でもみんなが知っている正義の味方だ。
紅はこべ、怪傑ゾロ、鞍馬天狗、黄金バット、仮面ライダーにタイガーマスク?ウルトラマン、スパイダーマン、バットマン、スーパーマン、etc.小説や映画、紙芝居、テレビに登場する仮面のヒーローたちは枚挙にいとまがない。彼らの中には永久に正体を明かさないヒーローもいる。
しかし、たとえ正体が明らかな場合でも仮面をつければ別人となるところに面白さがあり、子供にも大人にも限りない夢の世界を与えてくれる。

  白いガーゼのマスクをするだけで、誰かわからないかも?と期待を寄せるのは、誰しもが心の中に、弱い自分を隠してもう一人のなりたい自分になれるかもしれないという変身願望を持っているからではなかろうか?
洋画の仮面舞踏会に心ときめかせるのも同じ心理かもしれない。
また、対人関係に悩み「素面の自分」に免疫力のない人の場合には「仮面をつけた自分」をイメージすることで楽になれるケースもあるという。

  以下は私が崇拝する白洲正子さんが当時南海ホークスに在籍していた野村克也氏と対談した際の貴重なお話である。(白洲正子著『おとこ友達との会話』後書き:青柳恵介氏の「生きた会話」より)

野村氏
「捕手というポジションが他の選手と違って、進行しているゲーム全体を見渡せるのはただ単に一人だけ向いている方向が他の選手と反対だというだけではないかもしれない。マスクを被ることによって、普段の自分とは違うもう一つ別の、言わば客観的な目を持った自分が生まれるようだ。」

白洲正子女史
「能の面(おもて)というのもそうなのよ。」

それは、正子女史の口から語られた、全く異なった分野でご活躍されるお二人が親しく共に考えながら会話を心ゆくまで楽しんだというお話を評論家の青柳氏が感動しながら聞いているワンシーンであった。
これを読んだ時、私はまたとない異色の対談に心躍らせ、その内容にはエジプトのファラオの谷で3000年以上も人目にさらされることの無かったツタンカーメンの黄金のマスクを見つけたような気持ちさえした。

  同じマスクでも弱い心を隠すために悪い心が芽生えたり、防毒マスクをつけなければいけないような世の中にはなってほしくないものである。

  体も心も自分自身で守る予防医学の時代。
何といっても風邪の予防には手洗いとうがいは欠かせない。
しかも免疫調査によると、うがい薬より水道水でうがいした人の方が風邪にかからなかったという予想外の結果が得られたという。
飲み水も買って飲む時代になり、最近では水道水がないがしろにされている感は否めない。
ところが、水道水に微量に含まれる塩素が大いに役立っているらしい。
どこにでもある水道水による手洗いとうがい、そして簡単にできるマスク一枚で風邪予防をし、更にマスクをした自分を見つめ直してみようではありませんか?
ただし、マスクだけですよ。やりすぎて不審人物と間違われぬようにくれぐれもご用心!

  これ以上雪害がないことを祈りつつ、マスクの下の自分を客観的に見つめる時間を持ち、様々な想像力を膨らませながら、一日も早い春の訪れを待ち望む酷寒のひと日であった。

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