迷いの窓NO.83
人生の首途(かどで)
(前編)
2005.11.29
  何の変哲もないいつもの朝であった。
ただひとつ、起きた瞬間に<寝違えかな?>と思わせる程度の首の痛みがあったことを除けば・・・。
それが1時間もしないうちに首が曲がったまま真っ直ぐに起こせなくなるなどと誰が想像できたろう?
私は驚愕して近くの「鍼灸接骨院」へ飛び込んだ。
後に聞くところによると、曲がった首をかろうじて支え、言葉より早く「助けて下さい!」と目で訴える姿は悲壮感漂っていたそうだ。
直ちに整形外科のある病院でレントゲンを撮ってくるように指示された
そこで初めて「頚椎捻挫」とカルテに書かれた。
頭が支えられないことがこれほど辛いとは・・・、しかもある朝起きたら首を捻挫していたなんていうことがあるのだろうか?しかし、それはどうしようもない現実だった。

  葬儀社在職中の話である。
当時サービスの担当であった私のその日の勤務はお通夜要員で、お昼に会社に電話をして手配を受けることになっていた。通称メンバーさんと呼ばれる会社の人に出勤できない状況と症状を伝えると、予想通り「どうした?交通事故か?ムチ打ちか?」と返ってきた。
それから毎日接骨院で治療が始まり、電気、鍼、マッサージなどあらゆる治療が試みられた。
初日にマジックテープで着脱できるソフトなコルセットをされ、首が絞まってしまうので就寝時には取り外すようにくれぐれも注意を受けて帰宅した。

  コルセットがあってもしばらくはひたすら身体を横たえているしかなかった。
友人たちが代わる代わる食料を調達してくれたことが何より身に沁みて有り難かった。
「ギックリ腰」の痛みを<この世ならぬ痛み>喩えた人もいるが、どんな痛みも経験した者でなければ絶対に分からない。どこが痛くても困るが、首は辛い!何も出来ない。
無理のない姿勢を維持してただ休むだけなのである。
音楽やラジオを聴くことだけが唯一の慰めになった。
こんな時ダンス音楽はもちろんヒーリングミュージックなども逆効果だった。
不思議なことに落ち込んでいる時に聴きたいのはむしろ暗い曲調で、自虐的とも思える魂が張り裂けそうなフレーズに触れるほど癒された。
私にとってその曲とは鬼束ちひろさんの「infection」だった。

  接骨院へ通い始めて何日か経過し、気持ちにも余裕が出てきた頃、「いや、飛び込んでこられたときにはびっくりしましたよ。大分よくなりましたね。“ぎっくり首”は癖になりますから、これからは気をつけないと・・・。」
私は一瞬固まって先生を凝視した。
「私って・・・ギックリ首だったんですか〜?」と素っ頓狂な声を出しそうになったが、先生の真剣な眼差しに、ついに言葉にならなかった。
今までは腑に落ちないながらも「頚椎捻挫」という御大層な名前に観念していたのだ。
ギックリ腰ならぬ”ギックリ首”という呼称は流石に衝撃的であった。

私は昔から肩凝り症である。考えてみるとこの症状が出る直前、現在介護をしている叔母の入院看護のために一週間ほど会社から休みをもらって函館へ飛び、京都へ戻ったばかりであった。
気が付かないうちに看護の疲れが蓄積していたのかもしれない。
結局楽になるまでに1週間、回復までに2週間を要した。

  会社は休んでいたが、着物の着付教室は休まなかった。コルセットをつけたまま教室へ行くと、一人の先生が近づいてきたので「ギックリ首です。」と告げると、先生は表情を変えることなく「癖になるから・・・」と言葉を続けられた。その先生も痩せ型で首が長く私とよく似た体型の方だった。「私も何度も経験しているのよ。朝起き上がるのに1時間かかったこともあったの。朝目が覚めると起き上がれないんじゃないかと不安になることもあるわ。お大事にね。」と優しく声を掛けて下さった。
大概の人は聞き慣れない”ギックリ首”という表現にあからさまなリアクションを返すか、くすっと笑みをこぼすのだが、世の中には首で痛い思いをしている人が多いことを知った。

 遠方の友人などは電話の向こうで私の首のコルセット姿を「正に首長族ね!」と想像力を逞しくしていた。
首長族で有名なのはタイ北部のメイホーソンというところに住んでいる少数民族。
カレン族の一種族「バトン族」の女性である。
真鍮の首輪をしているのには諸説あるらしいが、一説には、その昔水曜日に生まれた女性ばかりが虎に首を噛まれて殺されたため、村長が娘たちを守るために縦割りにした太い竹を首に嵌めたのが始まりという伝承が残っている。
つまり首輪をしているのは水曜日生まれの女性だけだというのだ。
興味本位に自分の生まれた日の曜日を調べてみた。
<水曜日なら笑ってしまうな>と思っていたら、まさかの大当たりで首筋が寒くなった。
彼女たちは決して首が長い訳ではなく、幼い頃から3〜4kgもあるらせん状になった真鍮の首輪をしているうちに肩が下がり、肋骨も圧迫されて首が長く見えるだけだという。
近年、首長族の村も観光地化されて、本来必要のない村人まで首輪をするようになったという話は民族の歴史が失われていくようでちょっと悲しい。NO.84へ続く

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