![]() 夏越の祓い 2005.7.15 |
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6月、17年ぶりに夏日が続いた函館も7月に入って急激に気温が下がり、冷たい雨の降る日が多かった。そんな季候の変化に身体がついていけなかったのか夏風邪をひいてしまい、『窓』も開けられずに、気がつけばとうとう7月も半ばを過ぎていた。 長時間パソコンの前に座ることは無理だったが、メールのチェックと日課となっているHP、ブログ訪問は欠かさなかった。いつものように出たとこ勝@負ログを訪問すると、「瓢箪から駒」というタイトルに目が釘付けに・・・復調半ばにして、私は今「手作り作品展」に出品するための水引瓢箪作りに追われているからである。 以前、心ばかりと大阪高級葬儀社へ贈らせていただいたら、直ちに「独り言」で紹介され、さらに後日、号外で同社のエントランスに飾られている「ひょうたん達」の写真までも掲載されてしまった。一瞬目眩を覚えた記憶があるが、それは心からの喜びの表現であったのだと、その後の水引細工製作の励みにもなり、今ではむしろ感謝している。 瓢箪はひさご、ふくべという異称を持ち、多産と繁栄の象徴として、また六つの瓢箪(六瓢)が無病に通じ、無病息災と長寿を願う縁起のよいものとされてきた。 水引で作った瓢箪の中に何かを入れたいと考えた時、真っ先に思い浮かんだのが、駒ならぬ独楽であった。「瓢箪から駒」の方は馬のことで、中国の故事では白いロバのこと。 ひょうたんの狭い口から馬が出てくるほど、思いがけないことが起こる喩えである。 他方、独楽も廻り回って良いことが訪れる縁起物の一つに数えられている。 お財布に小さい独楽を入れておくと、お金は出て行ってもすぐに回ってくるというが・・・。 調べてみると、三段独楽、逆さ独楽、ベイ独楽など独楽にも色々な種類がある。
日本に古くからあった独楽は中国から伝来した「 輪鼓は日本の伝統的な紋の一つにもなり、丸形、亀甲、盛り、並びなどと組み合わされて様々なデザインを生み出している。形は似ているが千切り紋や杵紋とは明らかに別物である。細川勝元の家臣であった内藤氏が「輪鼓に鞠紋」を用いていたという史実からもその歴史が知れよう。 一方、子供が輪鼓で遊んでいた時、独楽が地上に落ちて回らなくなる様子を見て、悟りを得られた方もいる。時宗の宗祖一遍上人である。 「我 「独楽も人が回すから回り、回さないと止まるように、人もその身、言葉、心(身・口・意)の三つの行いによって輪廻の苦しみを招く。よって、自ら輪廻の種となる生活のありようを変えるに越したことはない。今こそ、仏の教えを実践しよう。」(「聖絵」第二段要約) 悟りは日々の生活の中にある。悟る人は玩具の「独楽」を見ても悟るものだ。 「南無阿弥陀仏」という名号そのものに絶対的な力があり、衆生の信不信、浄不浄は関係ない。阿弥陀仏と衆生と名号が渾然一体となることにこそ救いの世界があるとして、極楽往生を保証した 時宗の宗は本来宗門の意味ではなく一遍さんと遊行した「六時念仏衆」のこととも、「臨命終時宗」(只今をいつも臨終の時と心得て念仏に励む宗)とも言われる。 そして一遍さんの遍とは、光明が遍く十方世界を照らすが如く、一念の念仏で救いが世界に行き渡っていることの意である。当時の人口から計算すると日本人の二人に一人は一遍さんにお会いしていたことになるというから驚嘆に値する。 世は末法思想の只中、繰り返される合戦や疫病で死は常に隣り合わせにあった。 弔われることのない屍がそこここに打ち捨てられていたのである。 極楽往生のお札はそんな不安な人心にとって一条の光であったに違いない。 往生への切符を手にした途端、生への躍動となって人々は歓喜の踊りの輪に導かれた。 こうして一遍さんの布教活動は声明と念仏の喜びを素直に踊りに表現する宗教的エクスタシーとなって全国に広まっていった。 今も各地に伝わる盆踊りや念仏芸能の元になったと考えられている。 日本の長い歴史の中でもこれほど人々が宗教と共に生きた時代はなかったかもしれない。 すべてを捨てた一遍さんは、遊行されるお釈迦様のお姿そのままに、時代を超えて我々の遺伝子の中に生き続けている。(NO.71に続く) |
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