迷いの窓NO.71
夏越の祓い(後編)
2005.7.16
  一遍さんと同じように高野山の数多い聖たちの中に、一切の執着を捨てて専心に念仏を唱えた一団があった。源平合戦の後、多くの僧侶が全国津々浦々まで行脚して仏の教えを伝えたこれらの聖たちのことを、「放下僧(ほうかぞう)」と呼んだ。「放下(ほうか)」とは正しくは「ほうげ」と言い、すべての執着を捨て去ること。
関西弁の「ほかす」(捨てる)という言葉もここからきているそうである。
放下僧はやがて放下師という大道芸人にかたちを変えていくが、依然として僧形の人が多く見られたようだ。この大道芸の一つが独楽回しの「輪鼓」であった。
能の演目にも「放下僧」がある。放下僧に化けて父の仇を討つ兄弟のお話で、何と言っても芸尽くしが見所。兄弟の芸にすっかり見とれている間に、見事仇討ちの本懐を遂げるというストーリーである。
能の中で曲舞(くせまい)羯鼓(かっこ)(ささら)、小切子、小唄などの芸が繰り広げられるところが他の能とは一味違う趣きなのだ。

  さて、愛知県新城市の大海というところにその名も「放下おどり」という行事が伝承されている。現在では8月14、15日、寺、お墓、初盆の家、辻などで行われる精霊の行事となっている。
後光を象った紋入りの大団扇を身体にくくりつけ、さらに太鼓を抱きかかえる奇抜なスタイルゆえに「奇祭」として名高い。一度は目にしたいと思っている。
楽は突く太鼓と鉦と笛(六穴の伊勢笛)、念仏は良忍上人の融通念仏の流れを受け、独特の歌枕と放下歌(ほうか)があると聞く。

  初盆に欠かせない念仏踊りと言えば、福島県いわき市に「じゃんがら念仏踊り」がある。
日本トータライフ協会に加盟されている葬儀社の存在もあるが、私の友人の故郷でもある。
じゃんがらは元々お盆だけでなく、神社仏閣の宵宮や御開帳などにも踊られていた。
その昔はパフォーマンス渦巻くエネルギッシュなものであったらしい。
「放下おどり」にしても「じゃんがら」にしても、時衆たちの法悦した念仏踊りの面影を偲ばせるものではなかったか!
今も地元の人々にとっては何とも形容しがたい郷愁を感じるものであるという。

  今頃京都では四条通りを中心に祇園祭の山鉾がち並び、夜は歩行者天国になって浴衣姿の人が団扇を手に厄除けの粽などを求めながら、かつての都大路をそぞろ歩いている頃だろう。
32基の山鉾の中に「放下鉾(ほうかぼこ)」という鉾があり、その名は「天皇座」に放下僧を祀るのに由来している。瞼を閉じると、太鼓と鉦と能管で奏でられる懐かしい「コンチキチン」のお囃子が今にも聞こえてきそうな気がする。

  最後に、祇園祭にまつわる今度は「駒」の話をしよう。
京都の三大祭として知られ、動く美術館とも称される華麗な祇園祭は、いにしえに「祇園御霊会」と呼ばれた八坂神社の祭礼である。全国に蔓延した疫病を「祇園牛頭天皇の祟り」とし、疫病と災厄除去の祈りは千百年前から脈々と伝えられたきた。
とかく宵山や山鉾巡行ばかりクローズアップされる祇園祭。
祭りは6月8日のお稚児さんの決定から始まっているのだ。
先に長刀鉾の上でしめ縄を切り落として巡行の開始を告げるお稚児さん。
そして本来の神事の主役を務める久世稚児さんの選出である。
久世稚児さんは八坂神社縁の京都市南区久世にある綾戸国中神社の氏子から選ばれる。
このお稚児さんは神の化身とされ、神社の格式が高かった時代でも騎乗のまま境内を入ることが許されたのである。
一人は17日の神幸祭に、もう一人は24日の還幸祭にそれぞれ馬頭型のご神体「駒形」を胸にかけることから「駒形稚児」とも言い、白馬に乗って神輿を先導する。

  7月31日、祇園祭は八坂神社の境内摂社「疫神社」で執り行われる「夏越(なごし)の祓い」を以って幕を閉じる。当日参詣者は茅(ち)の輪をくぐり、「蘇民将来之子孫也」とか書かれた(疫病を免れる)護符をつけた「茅の輪守り」をいただく。

  今も昔も日本人はこの手のお札や縁起物に弱いようだ。
しかし、人間の健康でありたい、災厄を逃れたい、幸せになりたいという根本的な願いは千余年の時を経ても少しも変わっていない。
身・口・意の三業を改むることは叶わないまでも、阿弥陀さまに救われると信じて法悦した一遍さんの時代のように、人間が純粋な心と謙虚さを失わなければ、自然ももう少し人間に寛容になってはくれまいか?!
そんなことを考えながら、今日も独楽や招き猫や福鈴を入れた水引の瓢箪をあわじ結びで掌から生み出している私である。
これで風の「邪気」も退散し、真実「夏越の祓い」となれば嬉しいところだ。


<夏越の祓い>〜「備後風土記」より〜
昔あるところに蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟がいました。
スサノヲミコトが一夜の宿を借りようと通りかかったところ、立派な屋敷に住んでいた弟の巨旦将来はけんもほろろに断ったのです。そこで已む無く粗末な家に住んでいた兄の家を訪れると貧しい兄は粟飯を炊き、真心で出来る限りの歓待をしたのでした。これに感激した尊
(ミコト)は茅の輪を身につけさせ、「疫病が流行った時、蘇民将来の子孫と名乗れば逃れることが出来る。」と言い残した。
これが霊力が宿るとされる「茅の輪守り」の由来である。
夏越の払いは古歌にも詠われ、旧暦6月に行われるところも多い。
6月30日、関西では氷室の氷に見立てた「水無月]という和菓子を食べる習慣がある。

<参考文献>
『一遍の語録を読む』梅谷茂樹著(NHK出版)
                    『葬儀・法事がわかる本』大法輪閣編集部
                    『能がわかる本』夕崎麗著(金園社)
迷いの窓トップへ メールへ