迷いの窓NO.68
紳士道T
2005.6.17
  先月24日、日本の“メンズファッション界の神様”と呼ばれた石津謙介氏がこの世を去った。
1960年代にアメリカ東部の名門8大学アイビーリーグで培われた“アイビー”という精神をファッションとして定着させたブランド「VAN」の生みの親である。
時は団塊の世代が青春時代を迎えた頃、所は東京銀座のみゆき通り、VANの紙袋を持つのがステータスとなり、アイビールックが社会現象にまでなった時代・・・人は彼らを“みゆき族”と呼んだ。
アイビー教の教祖として名を馳せた石津氏は、以来、「消えていく流行ではなく、風俗をつくる。」という言葉通りに、常にメンズファッション界のリーダーとして業界を牽引し、自らのライフスタイルを「ダンディズム」という文化に高めた。
「フライデーカジュアル」という概念で業界に新たな仕掛けを試みたことでも知られている。
そんな彼がこの世にいて、今の「クール・ビズ(夏のビジネス軽装)ファッション」を見たら、何と思うだろうか?と真剣に考えてしまった。

  6月の衣替えとともに始まった「ノー上着、ノーネクタイ」
地球温暖化対策の一環として提唱されたスタイルと言うが・・・。
一頃前の「省エネルック」はいかにもイメージが貧困で効果を上げなかったが、再び官僚自ら率先して着用する「COOL BIZ」というネーミングでカムバック。
首相はパフォーマンスに長けた人だけあって、沖縄の「かりゆしルック」で登場。
テレビの国会中継でちょっとファッションチェックをしてみた。
真面目に右に倣えをしている議員の大半はネクタイと上着を忘れた、ただのだらしないオジサンたちであり、政府の答弁がいっそう真実味を欠くように感じたのは私だけだろうか?

  世界には開襟シャツを礼装に用いている国も少なくない。
しかし、日本とは意味合いがかなり異なる。  日本人は「みんなと一緒」が好きな国民性。
これまではスーツにネクタイさえしていれば、ビジネスシーンでそれなりにまかり通ってきた。
今回ばかりは戸惑いや抵抗感は隠せず、いつもの「右に倣え」という訳にはいかないだろう。
ますますセンスとTPOを問われる時代が到来したようだ。
TPOという言葉を造り出し、浸透させたのも石津謙介氏である。
室温28℃でも涼しい素材のスーツを着用すればよいことであって、カジュアルというのはいただけない。やはりその場に相応しい服装というのを心掛けてほしいと私は願う。

  「みんなと一緒」で外国人に「?」と思わせる服装に日本の「略礼服」がある。
ブラックスーツに黒ネクタイ一色、あるいは白ネクタイ一色というのは異様に映るようだ。
一歩間違えばダーティーな世界の人と受け取られかねない危険性もあるという。
お通夜に関して言えば、日本には昔から半喪の装いというのがある。
女性の場合色無地の着物に黒共帯というのが訃報に接してすぐの装いに相応しく、早々に喪服を着ていくのはタブーとされていた。
参列する男性の場合も濃紺やチャコールグレーのダークスーツ、もちろんネクタイも悲しみの場に合わせたものであれば良いと思うのだが、<黒、着てこられなかったの?>という威圧感まで感じる昨今である。もともと日本の葬送シーンの色は白なのに・・・。
黒はもちろんグローバルスタンダードではあるが、略礼装という観点から言えばダークスーツで十分であると私は考える。
むしろ慶弔をネクタイ1本で替えてしまう日本の「略礼服」のあり方には疑問を感じている。

  さて、私はメンズファッションに一入の思い入れがある。
なぜなら、私が最初に就職した会社は某アパレルメーカーであり、しかも配属されたのは紳士服のトラッドブランドだったからである。
洋服には興味があったけれど、トラッドとは全く無縁の私、しかもメンズ。
それからが猛勉強だった。
もともと歴史好きの私のこと、イギリスの伝統に基づく洋服のルーツを知るや、トラッドに魅せられるまでに時間はかからなかった。  伝統柄や生地、サイズのこと、各アイテムの名称、着こなしやライフスタイルの提案に至るまで学ぶことは山ほどあったが、楽しかった。
訓練とはよくしたもので、ほどなく男性を一目見ただけで、上着からウエストサイズまでピタリと判るようになり、その方にお似合いのコーディネートを見出すことに喜びを感じるようになった。
書物や根っからのトラッド愛好者である直属の上司からは言うまでもなく、百貨店で紳士服売場の主のような係長にはクイズ形式や図解で洋服の歴史を教わったものだ。

  特に興味深かったのはコートの歴史。
中でも「トレンチコート」は1940年代アメリカ映画「カサブランカ」で、ハンフリー・ボガードのトレードマークとして一躍脚光を浴びるようになった。
その起源を訪ねれば、第一次世界大戦当時イギリス兵(将校)がトレンチ(塹壕内)で着用するためのコートをトーマス・バーバリーが公案したものだそうだ。
兵は肩にライフルを担いでいるので両手が使えるように工夫されていた。
胸についている当て布は銃口を支えるもの。
ベルトについている丸い金具は手榴弾や剣、水筒などを吊り下げるためのもの。
袖口の細いベルトは絞って雨を防ぎ、襟に隠れた三角形の布は首から入ってくる寒風を防ぐためのものであった。
「完成された極限の機能美」と称されたトレンチコートの由来を知れば、ハードボイルドの映画に打ってつけのコートというのも頷ける。

  このように洋服の形には全て意味がある。
メンズの上着の左ラペル(襟)にかがりのあるボタンホールは、詰襟として着られていた時代の第一ボタンの名残である。
今ではバッチや社章をつける穴と勘違いしている人もいるようだが、このボタンホールに花を飾った人がいたことから、“フラワーホール”という洒落た名前でも知られている。
日本では男性が華やぐ夜の街へ繰り出す際に「バッチや社章をボタンホールの裏側につけるのがマナー」などとまことしやかにのたもう人もいると聞いた。  笑止千万と言わざるを得ない。
アイヌ人として初の国会議員になり、「狩猟民族は足もとが明るいうちに帰るものだ。」という名言を残して、潔く議員を辞した萱野氏のことが不意に思い出された。(NO.69へ続く

迷いの窓トップへ メールへ