迷いの窓NO.44
日本の美意識(前編)
2004.10.14
  例えば『花にさきがけるのは(いき)、時季に遅れるのは野暮』とは着物の柄のことである。
これは四季の移ろいに敏感な日本人の美意識の現れであるという。
京都の着道楽を西陣織で支えてきた「西陣むら」では、今もなおこの「粋」のこころが綿々と受け継がれているように思う。
昔ながらの面影を留める「うなぎの寝床」といわれる京町家では、毎朝門掃(かどば)き、打ち水がされ、玄関先にある消火用の赤いバケツ(昔は桶であったろうが)の水面には季節の花や、葉がさりげなく浮かべられている。
春は椿、夏はひまわり、秋はマーガレット、冬はヤツデの葉や葉牡丹というように・・・。
そんな京都の風情は忙しい日常にあって、ふと足を止めて心が慰められる一瞬であった。

  私と着物との出合いも、着物が風景に自然に溶け込む古都にあっては必然であったと言えるかもしれない。
もちろん日本人である以上は自分で着たいという思いはあったが、香道を嗜むうちにお香席に着物を着て行く機会ができたことも理由の一つではある。
しかし、決定的にしたのは葬儀という仕事に携わるようになり、冬期の間は制服として着物を着用することになったことであろう。
全く着られない人でも一冬経験すれば、先輩に教わりながら着られるようになる。

  寺院式や自宅葬の多い京都で、葬儀の仕事に着物を着用するのは主に防寒の為であった。
底冷えのする京都では襟足から雪が入るのは防ぎようがなかったが、見えないことを幸いに全く色気のない話だが、着物の下にタイツやスパッツやアンゴラのような下着を重ねて着込み、背中や腰にカイロを貼り付けていたので、「恥ずかしくてこの姿では絶対に事故に遭えない!」と同僚とよく真顔で話したものだ。

  私の勤務する葬儀社では、サービスの一環としてご遺族の喪服の着付けをお手伝いさせていただくことがあった。
もちろん専属の着付師や美容師さんも斡旋していたが、「ちょっと帯だけ手伝って」というご要望が多かったそうである。  それが当節、着物を着られない人が増えるにつれ、一からお手伝いすることになったから大変なのである。
着物を着られると人の着付けもできると思われる人がいるが、これは全くの別儀。
サービス部門の責任者として仕事をするようになれば、最も不安なことはこの「着付け」であった。
無償のご奉仕とはいえ、お引き受けする以上は「きれいに、なおかつ楽に着せて差し上げたい。」という思いから、私は西陣織会館内にある西陣和装学院の着付け教室へ通っていた。
そしてとうとう、木札をいただく着付け師範免許取得というところまで止められなくなってしまったのである。

  着付けというのは何といっても場数である。
「花子さんボディー」相手の練習のようなわけにはいかない。
現在喪服を着られる女性は喪主様、喪主の奥様、お母様、近親者というお立場の方だが、貸衣装ならまだしも、年代的にお嫁入りの際に持ってこられ、長年タンスの肥やしになっているケースが往々にして見られる。  歳月とともにご体形が変わられている方も多く、実際お持ちになると身幅が足りなかったり、その時代の帯で短かったり、襦袢が広衿になったいたりと様々である。
一度として自分で満足な着付けをすることはできなかったが、「楽に着せてもらったわ。ありがとう!」というお言葉をいただいた時は嬉しかった。
あるときはご自分で着られた方が、開式10分前に左前になっているのを発見!
この時はさすがに時間との勝負で冷や汗ものだった。(NO.45に続く)

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