迷いの窓NO.45
日本の美意識(後編)
2004.10.15
  着物との出合いで私は実に多くのことを学ぶことになった。
立ち居振舞いやTPO。
着物には格付けがあり、その時々に相応しい装いや決まりごとがある。
一例を挙げれば、お茶事の装いにはお茶道具の柄や、床に生けられる花の柄はご法度、お茶事の主旨に合わせて華美なものは避けるのが常識とされている。
そこではあくまで亭主(相手)に対する礼節が重んじられるのである。
「衿を正す」「折り目正しく」「躾をかける」などの装いから生まれた礼にまつわる言葉は、「美しさ」の中に凛とした女性の強さ、生き方そのものを兼ね備えている。
  また、着物の紋や柄の知識、日本古来の(かさね)の色目、日本の服飾史を知ることは、後に法具や法衣の研究においても大いに役に立った。
私の中で混沌と点在していたものが、線となり、ひとつの「かたち」となって新しい世界を広げることになったと言っても過言ではない。

  西陣には有名なご兄弟がいらっしゃる。
弟の山口安次郎氏は、300年の後世に残る「唐織の能装束」を掌から生み出す根っからの織職人。
兄の山口伊太郎氏は、「錦織の源氏物語絵巻」に千年の夢を賭ける織元のプロデューサー。
お二人合わせて200歳の現役である。
<60、70歳はまだ青い鼻たれ小僧。ボケてる暇や歳なんか取ってる暇おへんのや。
これからが夢の叶う人生ほんとうの勝負!>
説得力、いや、このすさまじい「人間力」は迫力がありすぎて、ほとんどカウンターパンチを浴びたような衝撃さえ覚える。

京都で驚くことは、どんなに忙しい「おじさま方」も必ず嗜みを持っていることである。
茶道、謡、常磐津に三味線等々、能楽、狂言、歌舞伎や美術鑑賞なども欠かさない。
お二人とも西陣に一世紀生きて、この土地に育まれ、嗜みから感性を磨き、五感を駆使して「本物」を創造する名工と呼ばれる技術を身につけられてこられたのであろう。
その技は伝統を継承しながらも、褪色しにくい化学染料で糸を染めたり、紋図の設計をコンピューターで行うなど、新しい風を取り入れながら進化し続け、究極の仕事の「かたち」となった。

人類の歴史は革新的な進歩をもたらし、便利さに甘んじてきた人間が、今や進歩に追いつけぬほど世の中のスピードは速い。
その代償として失ってきたものも大きいのではなかろうか?

  きものは「心の美しさを表現する衣服」である。
民族衣装の着方すら忘れてしまった日本人にも「きものは美しい」という美意識がある限り、その根底に眠っている「人間力」も取り戻せそうな気がするのである。

  西陣を支えてきたのは心の美しさを持った女性であったという。
<朝の膳につける椀の中に、桜の花びらやもみじの葉を浮かべることで、四季の移ろいを感じながら仕事に精を出してもらう。>
そんな京都女性の「意気(粋)」を伝統の「(すい)」に変えてしまう心遣いを見習いながら、私も内面を磨く努力を怠らず、歳を重ねるにつれてますます「心の美人」でありたいと思うのである。


<参考文献>:山口伊太郎、山口安次郎著『織ひとすじ千年の技』祥伝社
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