迷いの窓NO.32
蓮の音(前編)
2004.6.25
  水無月も半ばを過ぎると、そろそろ蓮の花が開く時期かと、京都に居た頃はそわそわしたものだ。  幼い頃のわらべ歌も聞こえてきそうである。
「開いた  開いた 何の花が開いた  レンゲ(蓮華)の花が開いた・・・。」

フランスの印象画家モネの愛した可憐な睡蓮も好きだが、何と言っても馥郁たる優雅な蓮の美しさはひとしお愛しい。
花も然る事ながら、観音様に抱かれる蕾の蓮華(未開敷(みかいふ)=悟りを開く前の心の意)も、露を玉と転がす“はちす葉”も、蜂巣に喩えられたシャワーヘッドのような花の過ぎたあとも、それぞれに趣がある。 或る年のこと、「蓮の音を聞きたい」と思ったところから、私はすっかり好事家扱いをされることになってしまった。

  西陣に住んでいた頃の話である。
夜の仕事帰り、ガス灯のように優しく揺らめく灯かりに誘われるように“ぶきっちょ”という名の洋酒喫茶へ寄り道をすることがあった。
京町屋やお寺の並ぶ路地にある佇まいの中で、私のこと?と思わせるお店のネーミングに強く惹かれたのだ。
マスターの博学で、含蓄のあるお話はいつまでも聞いていたい気持ちになり、つい時の経つのも忘れてしまう。店内でお客様が参加するフォトコンテストも魅力の一つとなっていた。
蓮の話をすると、常連さんの多い店内ではたちまち蓮談義。
「桔梗も開く時に音がするから、聞こえる」という人。
「音がするなら、日本一の蓮の群生地である滋賀県の烏丸半島は、さぞかしやかましいことやろう。」とマスター。  しかし、不思議なことに、実際に聞いたという人はいない。
報告することを約して、私は夜中の3時にタクシーを呼んだ。

  「嵐山の天龍寺まで。」と言った途端、こんな時間に女性が一人お寺まで・・・「変に思われているかも?」という空気が一瞬流れ、「蓮の音を聞きに行くのです。」と尋ねられもしないのに、説明を加えていた。
「ああ、蓮の音ね。開く時に音がしますな。」
「やっぱり聞こえますか?」いやが上にも期待が高まる。
タクシードライバーは60代半ばぐらいの話し好きな人で、いつもジャズのカセットテープを聴きながら、夜の街を流していると言う。

「そう言えばジャズの曲に『蓮の花(Lotus Blossom)』という曲があります。
演奏しているのはトランペット奏者のケニー・ドーハム、通称“Quiet Kenny”(静かなるケニー)」
ジャズの話は止まらないが、残念なことに車中の彼のコレクションには、この一曲は見つからなかったらしい。
途中、西院で会社の後輩を拾う。
タクシーに乗り込んできた彼女は、ジャズが流れる素敵な異空間に驚いているようだった。

  目的の蓮池は天龍寺の参道の途中にあるので、四六時中足を踏み入れることができた。
情報をもたらしてくれたのは、「法衣の部屋」でモデルをお願いした天龍寺山内寿寧院のご住職とは同級生の会社の友人であった。
嵯峨に住んでいる彼女、起きられたら合流するという約束だったが、まだ到着していない。

  タクシーが着いた時は、月明かりで蓮池の所在は分かったが、あたりはまだ真っ暗であった。
牛蛙の声がやかましく、蓮の音どころではない。思わず「おだまり!」と女王様口調に。
しかし、牛蛙の鳴声のわずかの静寂の間に、「ぶほっ」っと確かに音が聞こえた。
後輩と二人で顔を見合わせた。「水面の桶を木槌で叩いたみたいな音」と彼女。
すぐにまた牛蛙の声にかき消されたが、夜が明けるにつれて、音は時折聞こえるようになった。
ポ〜ンというようなクリアーな音を想像していたが、何度聞いても最初に聞いた音と同じだった。
夜が白みかけた頃、情報提供者も到着。
開きそうな蓮に狙いをつけて三人がそれぞれ凝視しているのだが、一体どういうメカニズムで音がするのか?皆目分からない。音の正体はついにつかめなかった。(NO.31に続く)
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