迷いの窓NO.3
極上の伽羅
2003.9.8
私が師と仰ぐ方も、やはり徳の香りを備えていらっしゃる。
その香りは、香木に喩えるならまさに極上の「伽羅」である。

御名は大阪高級葬儀株式会社の久世栄三郎氏。
ダンディーで清々しいお姿から一見クールな印象を受けるが、その実熱いハートをお持ちになっている。
仕事にも生き方にも素晴らしい哲学があり、人はみな知らず知らずのうちに久世ワールドに魅せられてしまうのだが、どのような相手とも同じ目線にいらして、素直に感動を表現されるところが常人ではないと思わせるのである。
先頃会社のHPのコラム「独り言」の中で私のHPのことをご紹介いただき、光栄の極みと感激している。
極上の「伽羅」を堪能されたい方は、是非ホームページをご訪問願いたい。
http://www.koukyu.jp

ここで少し、「香の歴史」について触れみたいと思う。
香は飛鳥時代、仏教の伝来と共に日本に伝えられた。
華を飾り、灯明を灯し、香を焚いて仏前を清める、つまり「三具足」と称される一連の仏教儀礼の小道具として大陸(当時の百済)から伝えられたのである。
正倉院には天下の名香とされる蘭奢待をはじめとする名香木があり柄香炉、毬香炉などの焚香道具が現存する。
鎌倉時代に禅宗がもたらされると「焚香儀礼」(現代の焼香の起源)が行われ、香と仏教が一層絆を深めていくことになるのである。

仏教寺院で稀に見かけるが、本堂の前に置かれている香炉に象をかたどった香象(象炉)というものがある。
発情期の象がこめかみの部分から芳香性粘液(マダ)を出すことから、香炉に結びつけられたと言う説もあり、平安時代には使用されていた史実が残っている。
密教の「伝法灌頂」の際に道場の入口に置かれ、受者がこれを跨いで身を清めるのに用いられた。これを触香という。

香は宗教的場面に用いられる一方で、薫物として貴族の遊びとなり、室町時代になると当時流行していた茶道「闘茶」とも結びついて競技的な「組香」となり、さらに「香道」という芸道に発展を遂げる。

後世に至って、葬送儀礼の場で「香典」という形になるが、これはまさしく香を供える替わりに金銭を包むことが慣習化したものである。
最近では宗教者が沈香の入った香合を持参することは珍しくないが、一般の会葬者がお焼香の際に持参した香を供えることは皆無に等しい。

近年葬儀を含めた寺院の儀式や茶道関係者のご葬儀では、御献茶が行われることがある。
香を嗜む人間としては残念ながら、未だ葬儀で御献香が行われた記憶はない。
香道人口が増えている昨今、葬儀場で香道による献香式が行われたり、法要で追善香という香席が設けられる日も遠いことではないと思う。
NO4.へ続く
迷いの窓 トップへ メール
メール