迷いの窓NO.16
痴呆を生きる(前編)
2004.2.1
  「死」と同じぐらい厭わしい事。そらは「ボケる」ということではないだろうか?
同居している齢86になる叔母は「訳がわからなくなって生き長らえるぐらいなら、死んだ方がましだよ。」とよく口にする。
しかし「痴呆になる」ということは、もはや特別なことではない。
むしろ老化による自然現象と思って間違いなく、来るべき時に備えておくことが重要になってきている。

  実はボケたくないと願う叔母にも確実に痴呆の影は忍び寄っている。
脳の障害で突発的にやって来る痴呆や、年齢に関係なくアルツハイマーになる人もいるが、一般的ないわゆる「ボケ症状」は徐々に現れるようである。
几帳面な人、神経質な人、一人で気丈に暮らしてきた人に多く見られるのは、今まで出来たことが加齢と共に出来なくなることのギャップが大きい為ではないだろうか?
家族もまさかと思い、信じられない、信じたくないという気持ちから発見が遅れるのもこのケースである。
「症状を見逃さないこと、認めて自然に受け入れること、進行させない努力を怠らないこと。」口で言うのは簡単だが、いざ家族のこととなると感情が入り乱れて冷静に対処できないものである。

  叔母のパニック症状は、ある朝唐突にやってきた。
隣に寝ていた叔母がむくっと布団の上に半身を起こしたかと思うと、大きな溜息をつきながらイヤイヤという素振りをしたので「どうしたの?」と尋ねると、いきなり言葉による攻撃の矛先が私に向けられたのだ。
要約すると、「一人暮らしのところへ私が勝手にやってきて、叔母やこの家を好きなようにしている。自分が情けない。」という内容だった。
まさかの展開に、こちらが泣き出したいぐらいの衝撃であった。
そのうち泣き出して身体にも触れさせない叔母の手をやっと取り、背中をさすりながら一生懸命説明をした。
どうも眠っているうちに色々と考えが巡るらしく、朝に記憶障害を起こすことがあるようだ。
初めての経験に、ほとんど私の方がパニック状態に陥っていた。

私はにわかに「痴呆を生きるということ」(小澤勲著・岩波新書)という本を買い、病院や施設のことも調べ始めた。
本を読むうち「痴呆の法則」のようなものが分かってきて、対処方法や心の準備も出来てくると、「これは特別なことじゃない。これも生きるということなのだ。」というある種の気構えのようなものが生まれてきた。

  痴呆の始まりは多くの場合「物忘れ症状」である。
老化による単なる物忘れと違うのは、何かの記憶、例えば食べたという行為自体の記憶が抜け落ちてしまうことである。
私が体験から導き出したことは、
「とがめない、否定しない、大きな声でぶっきらぼうに受け答えしない。」これ3原則。
耳が遠いのに認めようとしないので、大きな声で話す。何度も聞くからついぶっきらぼうに答えてしまったりする。すると、怒られているという解釈が生まれる。
あまり重要でないことは訂正しない。否定したり、「忘れちゃったの?」などと言おうものなら、たちまち「すぐ揚げ足を取るねえ、おかしくなってるっていうの!」と反撃されるから。

ただし重要なことや記憶に刷り込んでおきたいと思った時は、記憶蘇り術を使う。
本人が使った言葉、そのときの情景が浮かぶように出来る限りの情報を駆使して、表情たっぷりに話をする。
聞いている方は思い出せないのだが「ああそうだったかもしれない。」と思い出したような気分になるらしい。
稀に本当に思い出すこともあるから、術も侮れない。
だから、これから痴呆を共に生きようと思う家族には「表現力」が必要となる。

記憶を蘇らせるのには、写真も有効なツールである。
懐かしい方が訪ねて来た時や、お花見などの楽しいイベントを作って記録に留めておく。
日付や思い出を添えて普段目に届く場所に飾っておくと、時折嬉しそうに眺めている。
勿論ビデオでも良いと思うが、何気なく手に取れる写真は、動かぬ証拠として記憶に深く刻まれるようである。後編NO17へ続く
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