迷いの窓NO.17
痴呆を生きる(後編)
2004.2.2
  痴呆状態が進むとよく「物取られ妄想」が現れると言うが、これは忘れたことを認めたくないから、つじつまを合わせるために取られたことにしてしまう自己防衛本能であるという。
人は誰しもボケたくてボケるのではない。死の瞬間が訪れるまで自分で自分を守らねばならない。
忘れたら「取られた」と言い、都合が悪くなると「知らない」で済ませてしまう。
傍から見ると身勝手と思えることも、自己防衛の手段となれば、致し方ない。
家族にはそれとなく日常の行動を見守ることしかできない。

  これが一人暮らしとなると問題は一層深刻である。
他人に誤解を生ずることが多くなり、コミュニケーションの欠如から「偏屈な老人」というレッテルを貼られ、ますます孤独に陥った揚げ句、誰にも気付かれずに孤独な死を迎えるという悲劇も生まれる。

  老人は多かれ少なかれ老人性うつ病患者である。
思うように動けなくなると何もかもが面倒になる。
しかし、ささやかでもやりたいこと、行きたいところはあるわけで、一人では行動できないからあきらめてしまっている。
あるいはまわりの人間を煩わせたくないから我慢するうちストレスとなり、うつ状態は進む。
高齢者は問題を抱えていても、自分で解決することが難しくなっている。
心の障害を取り除くことで症状が格段に好転することもあるから、どうしても身近に支える人の存在が必要である。けれども、家族が四六時中一緒にいるというのは困難を伴うことである。

  私の叔母は片付けが好きなので食事の後片付けをしてもらうし、野菜の即席漬やイカの塩辛を作る時は叔母の出番である。
多少時間がかかっても本人は満足気なので、今度はこちらに「待つ」という忍耐力が要求される。
居場所を確保して、少しでもやりたいことをサポートしながら尊重してあげることで、痴呆が進まないようにできると私は確信している。
話を聞いてあげることは勿論だが、笑いやスキンシップも重要な要素だということも分かってきた。
近いうちにリハビリメークも試して、若返らせてみようかとも考えている。

  子供は次第に手を離れていくと言うが、老いを生きるとは出来ないことが増えていくことの連続。
見ている周囲も辛いが、老いの苦しみとはきっと不安と葛藤と絶望の繰り返しなのだ。
よく歳を取ると子供に戻ると言うが、子供と老人が違うことは、高齢者には死の瞬間まで「プライド」があるということである。
物忘れしても、子供のようになっても、いつまでも人生の先輩として尊敬の念を持って接していきたいと思っている。表面的には分からなくなっても、魂には届くような気がするのである。
それは、いつか自分も通るであろう道だから・・・。

  私はまだ介護のほんの入口に立っているに過ぎない。
然るに痴呆を生きるという問題は、今後家族単位というよりも地域の支えがなければ到底出来るものではない。
誰しもが自分自身の問題として、優しい地域や社会づくりを進めることができたら、高齢者虐待という悲しい新聞記事を目にすることもなくなるだろう。

  色々な人間がいて社会、とすれば老人も子供もいてこその社会である。
老人だけが暮らす場所と言うのは、一種の違和感を覚える。
戸惑ったり、迷ったりしながらも、痴呆という病と向き合いながら、叔母と共に生きてゆきたいと私は願っている。

  「美味しいものを食べている時は幸せって言うものだって。あんたとこうして御飯を食べている時が、私は一番幸せだよ。」
そう言ってくれる叔母の顔を覗き込みながら、私は「まだまだあなたに教わりたいことがあります。いつまでも私のこと覚えていてね。」と心の中で呟いていた。


函館の眺望

〜お知らせ〜
  この原稿をUPしようとしていたまさにその時、私の所属している大阪のNPO法人「やすらぎネット」の事務局からメールが届いた。
私の心の支えとなった一冊の本、「痴呆を生きるということ」の著者小澤勲先生の公開セミナーのお知らせに、「ご縁」という以外の何というべきか、あまりの偶然に言葉も見つからないほどである。
お近くの方は、痴呆に対する心の予防接種を受けるつもりで、是非ご参加いただきますよう下記ご案内申し上げます。
公開セミナ−のお知らせ
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