迷いの窓NO13
平和の祭典
2003.12.25
  冬眠していたわけではないが、樹海のような「法衣の部屋」をさまよっているうちにすっかり時を過ごしてしまった。
樹海の外ではイラクのフセイン元大統領が穴の中から発見され、拘束されたと言う。
その日は奇しくも12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日であった。  炭焼き小屋に隠れていて討ち取られた吉良上野介と重なってしまったのは、私だけであろうか?

  この一件でイラク問題が一気に終息へ向うことは期待していなかったが、日本ではついに復興支援の為の航空自衛隊の先遣隊が、未だ攻撃止まぬ危険地帯へ向けて明日出発することになった。  C130輸送機をバックに派遣部隊が迷彩服姿で編成式に臨む姿は、神風特攻隊を彷彿とさせた。 

  国会討論では共産党や社民党がようやく本領を発揮してイラク派兵反対を訴えていた。
総理からは最後まで国際協力の具体的方法や派遣についての明確な説明は聞かれなかった。
イラク派遣部隊の編成完結式での軍隊ばりの総理の演説だけが空しく響く。

  私は幼い頃、札幌の真駒内駐屯地の近くで育った。
バラ線(有刺鉄線)の向こうを横目で眺めながら、長く続くグリーンベルトを歩いて学校へ通ったものだ。
級友のお父さんにも自衛隊に勤務する人が多かったので、球技大会の前ともなると特別な計らいで基地の中にある体育館を使用させていただいたこともあった。
入ってはいけないところへ足を踏み入れるのはスリリングだった。

  一年に一度、堂々とこの禁野とも言える土地に入ることができるのは、札幌雪祭りの期間である。  会場に近い小学校ということで、雪祭り見学は学校行事の一つだった。
当時は大通り会場に比べると真駒内会場はマイナーで、あまりにも広大な土地に雪像が点在しているため、ほとんど遠足気分を味わえた。
身の丈より何倍も高くて巨大な雪像を見上げるたび、「こんなに大きくて精巧な雪像を作る自衛隊さんはスゴイなー。」と思っていた。
子供にとって見学の目玉は何と言っても氷の滑り台。
鏡のような滑り台は長いのにスピードが出る為、もっと滑っていたいという気持ちをよそに、あっという間に下に辿り着いてしまう。
この滑り台を降りる時、危険がないように間隔を見計らって子供の背中を押してくれるのも、「自衛隊のおじさん」なのである。
いつもバラ線の向こう側で怖い顔をして警備に当たっていた自衛隊さんは、この時ばかりは優しいお兄さんやおじさんの顔になった。

  札幌の子供たちにとって自衛隊さんは戦争へ行くべき人ではなく、雪祭りに必要な雪を運んだり、雪像を作るためになくてはならない人、つまり平和の祭典を支える大切な人なのだ。
そもそも1950年に市民参加のイベントとして始まった雪祭りだが、自衛隊が協力するようになったのは1955年、耐寒訓練を兼ねてのことだったそうである。
観光客が世界から押し寄せるほど巨大な雪像を作るためには、鍛えられた体と、多くの人の手、そして何と言っても共同作業であるため、結束力というものが要求されたのである。
今では自衛隊の協力なくしては出来ない芸術的作業になっている。
長年積み重ねられたノウハウもさることながら、ほとんど職人気質の人も存在するらしい。

  例年雪が少ないことで開催が危ぶまれたことはあったが、イラクへの自衛隊派遣が現実となった今、赴く人も家族もどのような思いであろうか?  平和のイベントどころではないだろう。
札幌の街頭では自衛隊員を恋人に持つ女性が、派兵反対の署名を一人で集める姿が、TVに映し出されていた。

  あの滑り台で背中を押してくれた暖かい手に、如何なる理由にせよ人を殺す凶器を決して握らせたくない!と私は今も思っている。
来る2004年の2月もまた、多くの人を楽しませ、感動させてくれる雪祭りが名実共に平和の中で開催されることを願って止まない。


〜ご報告〜
紆余曲折を経て一部分ではありますが、本日「法衣の部屋」の扉を開けることができました。
扉の全開には今しばらく時間を要しますが、ひとまず「法衣の色の世界」をご笑覧下さい。
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