迷いの窓NO.104
蝉と水冠
2006.8.9
  この夏函館で初めて蝉の声を聞いたのは8月3日のことである。蝉袋
さて、『空飛ぶ水冠』をご訪問いただいている皆様方にはすでにご承知のように「水冠」と蝉は切っても切れない関係にある。
高僧が儀式で着装される「水冠」はその形が蝉に似ていることから別名「蝉帽子(せみもうす)」とも呼ばれているからである。

  香の世界にも蝉と係わりの深いものがある。蝉は幼虫から成虫に姿を変えるところから生まれ変わる縁起の良い昆虫とされ、蝉の形に作って香袋や掛香として使われてきた。

  蝉が鳴くのは夏から秋にかけてと思っていたら、春に鳴く蝉がいた。
一昨年、山裾を紅に染める60万本のエゾヤマツツジなどのツツジが自生する道南の「恵山」を訪ねた時のこと。鳥の声に混じって聞こえてきたのがエゾハルゼミの声。
最初は蛙か?と耳を澄ますと、紛れもなく蝉の声。
春遅い北国で聴くハルゼミの声はこれも“微妙の声”に違いなかった。感動の余韻は長く続いた。調べてみると姿や模様はヒグラシそっくりで、緑色の占める部分が多いそう。東北日本では低山地に、西南日本では標高1000m付近のブナ林も生息するらしいが、滅多に耳にすることができない貴重な声のようだ。

  盛夏に鳴く「ミンミンゼミ」や「アブラゼミ」は文字通り夏の季語。
蝉は古歌に詠まれ、古典にも盛んに描写されるほど馴染み深いものであった。
清原深養父の孫にして、あの清少納言のお父上、清原元輔の歌に夏の蝉を詠んだ刺激的なものを見つけたので記録しておこう。

蝉の声聞くからにこそいとどしくあつき思いも燃えまさりけり

しかし、こういった歌はむしろ珍しく、古人は「ツクツクホウシ」や「カナカナ」と優しく耳に捉えられ、秋の訪れを告げる法師蝉や蜩(ひぐらし)に趣を感じていたことが残された和歌からも窺い知れる。蝉の中でもとりわけ蜩には格別の思いを寄せていたことも・・・。
しだいに末法思想が色濃くなる時代背景もあったのだろう。古歌には薄い羽をもつ蝉の姿や命の儚さから“うたかたの恋や夢”を詠んだものが圧倒的に多い。

  「蝉」「香」というキーワードから思い浮かべるのは源氏物語の「帚木(ははきぎ)」「空蝉(うつせみ)」の巻に登場する「空蝉の君」のこと。
雨夜の品定めから中流階級の女性に興味を持った光源氏が一人の人妻と出会い一夜を共にしてしまう。以来、教養からにじみ出る奥ゆかしさに生涯忘れがたい人として源氏の君の心に刻まれることになる。
夫婦間の貞操について寛容な時代とは言え、想い人を求めて止まない高貴な身分の光源氏に対し、人妻ゆえに過ちを繰り返すまいと葛藤する女性の心情が切なくも王朝文学に触れる人の心を揺さぶるところである。
源氏の気配に気付いてすばやく部屋を抜け出したその人はさながら蝉の抜け殻のように香を焚きしめた薄衣を脱ぎ捨てていく。源氏は見果てぬ夢の思い出に薄衣を持ち帰るのであった。

空蝉の身を変えてける木の下になお人がらの懐かしきかな
<蝉が殻を脱ぐように薄衣だけ残して消えたあなたを私はやはり慕わしく思っています。>
と詠んだ源氏に女性は

空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡れる袖かな
<空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように私もひそかに、涙で袖を濡らしております。>と書き送り、この歌から女性は「空蝉の君」と呼ばれるようになった。
子供が宝物を見つけたように喜ぶ蝉の抜け殻も、王朝ロマンあふれる恋歌の中では儚さゆえにこの世ならぬ美しきものとして昇華している。
香道には「源氏香」という組香がある。源氏香から変化した型の組香に「空蝉香」という名が認められ、わざわざ単独の題材として楽しまれたのも頷ける気がする。

  不意に、京都に住まいしていた頃、行きつけの喫茶店のお遊びにこんな出題をされたことを思い出した。難解な苗字のひとつ「空」。読者にはお解かりだろうか?
降参したらすかさず<「かきくけこ」、「き」の下は?>ときた。
答えは「きのした」さん。
「木の下」とは先に記した源氏の歌に見えるように「蝉」のことではないか?!
だが、こちらは「このもと」と読ませる。
日本語は難解だがそれだけに面白い。

うむ、空→水冠→蝉→香、なにやら連想ゲームのようにも思えてきたが、明らかに一つの円を描いている。NO.105に続く
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