迷いの窓NO.102
介護の部屋15
2006.6.29
  今月初めのことである。
叔母の数少ない遠縁の親戚が夫婦で訪ねてきてくれた。(2006年6月1日)
ご主人の方が叔母の身内で叔母より2つ下の85歳。これまで盆暮れには必ず立ち寄ってくれていたが、段々歩けなくなって、今は杖を突き奥さんの介助がないと外出は不安のようだ。
昨年函館市に合併されたばかりの「戸井」というところに住んでいて、一時間以上バスに揺られ、お魚のいっぱい詰まった大きな発泡スチロールのケースを手に提げてはるばるやってくる。今も漁業は盛んだが、昔はマグロ漁で賑わったところだ。その人も昔は漁師だった。身体を壊して20年以上前にリタイアし、今は野菜を作って自給自足的な生活を送っている。
最寄のバス停近くには11軒しか家がない。ちょっとしたお店までは6キロもある。
魚は昔の漁師仲間からもらい、代わりにハウス栽培で年中絶やすことのない野菜をもらってもらうという。
近所でもおじさんのところの野菜は評判だそうだ。肥料の配合や「手間をかけると美味しくなるんだ。」という話になると目を輝かせて止まらなくなる。
素朴な生活を送るこのおじさんたちはとても純粋な人たちだ。
おじさんが以前より耳が遠くなったことはすぐわかった。奥さんが通訳していたから・・・。
有難いことにこの人は私の母が幼い頃のことをよく覚えていてくれた。
「おじさん、おじさんってなついてさあ、めんこい子供だった。」と当時のことを懐かしそうに語ってくれる。

  おじさんの話は何から何まで面白い。
海も傍だが、反対側はすぐ山になっていて裏山へ行けば春先には独活もタラの芽も採り放題というから羨ましい。その山から狐や狸がやってきて悪さをする。
「悪さするものだば、許さない!」と、今まで優しかったおじさんの表情が急に険しくなった。
狸は苺が大好物だという。苺が赤くなるのを待って、もう明日には収穫しようと思っていると、前の晩にタヌキがやってきて憎らしいことに赤くなった苺だけを食べてしまうのだという。
とうきびは200本から作付けているがキツネは実のぎっしり詰まったとうきびをもいで、後には皮だけがきれいに残っているのだとか。
<こりゃあ、たまらん>と罠を仕掛け、罠にかかった狐や狸を鉄棒で叩いて撲殺するそうだ。
しかし、殺しても殺してもお次、お次と山から下りてくる。
あるとき、アイヌの人に教えてもらった通りに、殺した狐や狸の血を畑の道に撒いておいたら、それから長い間近寄らなかったそうである。
突然、おじさんが「スカも来る」と言うので、「スカって?」と聞き返したら「鹿」のことだった。
鹿も農作物を根こそぎ食べつくしてしまうそうだ。
小学生の時に観た映画「子鹿物語」で生活の糧である作物を守るために可愛がっていた子鹿を銃で撃つというシーンを思い出して、ちょっと胸が熱くなった。
生きるということは大変なことだ。田舎で暮らしたことのない私には想像もつかないが、自然とは厳しいものだとつくづく思った。
まるで「日本昔話」に出てくるようなことが現実に一時間少々の場所で繰広げられているなんて、全くの驚きであった。

  何れにしてもかなり刺激的な話であった。叔母も「そ〜う、そうですか。あらまあ・・・。」と相槌を打って聞いていたので、この話はてっきり刷り込まれていると思っていた。二人が帰ってから、おさらいしてみると、「そんな話いつしてたの?聞いてないよ。」には、さすがの私もどっと疲れが出た。聞いていないというより聞こえていなかったのだろう。叔母は急な来客をどうしてもてなしたらよいかとそのことで頭がいっぱいだったので、話の内容にまでは注意がいかなかったらしい。
道理で会話が一方通行だったわけだ。叔母が同じ話を繰り返し堂々巡りをしているので、時々話の修正に割って入ったが、耳の遠い叔母と親戚のおじさんは互いに自分の喋りたいことを喋っていたのだ。内容を理解していたのは通訳である奥さんと私の二人だけだったようだ。

  狐は夜「だ〜、だ〜」と不気味な声で鳴くそうである。おじさんの家の近辺には車でやってきて飼い猫を捨てていく人が後を絶たない。おじさんはそんな猫ちゃんたちを見るに見かねて餌をあげるうちに、猫が離れなくなるのだとか。それもわざわざ猫ちゃんたちのために安い鮭を仕入れて年中業務用の大きな冷凍庫にストックしておき、2〜3回分ずつ醤油味で炊いてやるのだそうだ。誰と話をしているのかと思うと、相手は捨てられた猫ちゃんたちなのだという。
そんな心優しきおじさんと生活を守るために狐や狸を成敗するおじさんとではギャップがありすぎる。ものは考えよう。神経の繊細な叔母には聞こえていなくて幸いかもしれなかった。


  高齢者にとって冬の間はインフルエンザに限らず風邪が大敵。道も凍って歩きにくく、60〜70代の方でも一度骨折の覚えがある人は外へ出るのが怖いという。従って、どうしても引きこもりがちになってしまう。
今年の桜は1週間ばかり開花が遅れた。こんなに春を待ち望んだ年も近年なかったのではあるまいか?人は一生のうちに何度桜を観られるのであろうか?
若い頃は漠然と「あ〜あ、今年はとうとう観られなかったわ。」という年もあったが、今は絶対に逃すまいと思っている。

  今年も叔母と絶好のお花見日和に桜を愛でることができた。(2006年5月11日)
通り一本隔てたところにある桜が丘通り。もともと住民が自分たちのために植えた桜が見事な桜のトンネルになって、ここ数年ですっかり函館の桜の名所となってしまった。
閑静な住宅街がこのときばかりは桜を観て通る車で大渋滞。デイサービスのマイクロバスもわざわざこの道を通ってお年寄りの目を喜ばせている。
樹齢80年以上、つまり叔母と同じ年齢の桜も元気だ!薫風にさやさやと可愛い花房を揺らすソメイヨシノは素晴らしい生命力で幹からも花を咲かせていた。
「凄いわ!これ見て!」と叔母の注意をひきつけながら桜の下をそぞろ歩くうち、桜の精気をいただいて元気になっていくような感覚を覚えた。眩しそうに手をかざして「毎年これが最後か最後かと思うけど、今年も見られたよ。見事だね。ありがたいよ!」と感慨深げに言葉を紡ぐ叔母の表情は歓喜に溢れていた。

  この後、湯の川温泉の露天風呂へ浸かり、夕刻に五稜郭公園近くの有名な回転寿司屋さんへ。美味しい食事は人を幸せにする。私たちはしゃりの3倍ほどはある寿司ネタがまるで着物の裾を引くように優雅にお皿に垂れる“にぎり”を心ゆくまで堪能した。
この日のネタは特に叔母の身体に良いと言われている本マグロが最高!その醍醐味ときたら・・・後日思い出して楽しそうに語る様子から察すると、にぎりのあまりに鮮烈な光景は間違いなく叔母の瞼と脳裡に焼きついたらしかった。
帰り道、黄昏の五稜郭公園の桜たちが、私たちをえも言われぬ幸福感で包んだ。
桜の花びらがひらひらと肩の上に舞い下りてきた。(NO.103へ続く

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