法衣の色
5.法衣の色
  日本の仏教史において法衣は、南都六宗時代はインド以来の系統を引く律系統の如法色として木蘭色の壊色と用いるのに対し、奈良時代には官衣として礼服(らいふく)の法服化が見られた。
平安時代にはさらにそれが進展し、俗服である朝服の法服化が見られる。
天台、真言系の平安仏教は墨を主流とし、黒を上位の僧に用いるようになり、中国の陰陽五行や儒教の影響が顕著である。

  仏教が国教として手厚く保護されると、僧が国家的行事に関わり、政治的な実権を掌握するものも表れる。一般の僧も例外の地位を得ることが願いとなり、大僧正などの高い地位の僧には、天皇が法皇や法親王に順ずる紫や緋などの禁色を下賜するようになる。
現代でもなお紫衣や緋衣を着用する僧侶を高く評価するのは、禁色に対する尊貴の念が根強く残っている表れである。

  一方神道と仏教が融合するためには、国家的祭祀を司る天皇の法服が白である必要があった。
8世紀に本地垂迹「神は仏の化現したもの」の思想から、神宮に神宮寺を置いて僧侶が神祇奉仕を行うことになった時、白を以って神道的法衣を作る必要に迫られた。
そこで白の平袈裟、下には鈍色と呼ぶ純白の袍裳、または白を本義とする素絹という新しい法衣が作られ、日本的法衣の成立を見た。
またこのころ生まれた浄衣とは白麻の等身大の衣を指すが、浄衣と呼ばれる衣は現在も叡山の阿闍梨回峰行者が着用している。
しかしすべてが白になると上位者は宮中における当色をつけたり、天皇の黄櫨染になぞらう香色(丁子などの香木で染めた色)の法衣を身につけるようになり、僧正以上に着用が許された。
末法思想が信じられていた平安時代にあって、当時相当に貴重であった香料で染めた香色にも光の色を感じていたのかもしれない。

  990年一条天皇の御代になると、官衣が一〜四位までを黒、五位を赤、六位を縹とし、にわかに色の逆転が行われている。。
染色技術が発達し純黒が染められるようになり、黒が高級化したことも変化の理由の一つと考えられる。
仏教界では中国から禅宗がもたらされ、当時中国では僧の色であった黒が直綴(じきとつ)という簡易的な法衣となって日本へ伝えられた。
こうして禅衣としても墨染めの僧侶の衣が一般化していくのである。
しかしながら、衣の形が変化しても依然として紫や緋が禁色であり、高位の僧にしか許されなかったことには変わりがなかった。

中国の影響を受けながらも、平安時代から鎌倉時代にかけて日本の法衣は平常用に墨色、国家の祭祀には白、賜色として緋、紫に大別され、日本独自の仏教を彩っていくのである。


参考文献・写真引用
法衣史・袈裟史 井筒雅風著 有山閣出版
色の風景U 写真・文  野呂希一 (株)青菁社
色の名前辞典 福田邦夫著 (株)主婦の友社
古代王朝の女性 坪田五雄発行 暁図書出版
仏教を歩く親鸞・親鸞   朝日新聞社
松隠30号・31号   志野流香道機関紙

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