迷いの窓NO.88
鯨の夢
(後編)
2006.1.3
  一方、「ハクジラ亜目」の中で最大級の鯨は頭部が大きく体色の黒い「マッコウクジラ」である。
この鯨は長い間私の心の中で回遊していた鯨とも言える。
若い頃読み耽った高村光太郎の詩「潮を吹く鯨」の中に、三陸沖に姿を現した楽天家として登場するのが正しく一頭の「抹香鯨」であった。
今この詩を読み返してみると、随分受け止め方が変わったものだと思う。
当時はこんな鯨にはなりたくないと思っていたのに、今は彼のように生きるのも良いかも?と。
鯨は私の中で尺寸を伸ばして成長していたのかもしれない。

  抹香鯨の腸内に発生する様々な大きさをした結石は「龍涎香(りゅうぜんこう)」と呼ばれる香料の一種である。
龍の涎(よだれ)が固まったという中国の言い伝えからこの名があり、抹香のような香りがすることから麝香同様、高級香水の原料や漢方薬として使用されてきた。
結石が出来る理由にはマッコウクジラの食料であるダイオウイカやタコに嘴が含まれることが多く、これを排泄するために分泌物が結石化したものと考えられている。
排泄された龍涎香は稀に海面に浮いて浜に漂着することもあるようだ。
それを題材にしたのが高知出身の作家、坂東眞砂子さんの小説『恵比須』である。
題名はお正月向きだが、人間の欲を戒めたちょっと樒の香り漂う怖い内容なので、これから足を踏み入れる方は御覚悟を!

  高知という地名で思い出したのが「酔鯨」というお酒。
見事な鯨飲ぶりで知られた幕末の藩主、山内豊信公の雅号「鯨海酔候」に因んで命名されたそうだ。黒潮に躍る巨鯨に勝るとも劣らない、おおらかに杯を仰ぐ豪気ぶりが窺い知れようというものだ。
ご両親が高知出身という大阪の友人に鯨のことを尋ねたところ、故郷は“宇佐”というところでホエールウオッチングが盛んとのこと。出会える主な鯨・イルカはニタリクジラ、ゴンドウクジラ、マイルカだそう。お母様のお知り合いはその昔漁船から海に落ちて、四畳半ぐらいのマンボウにつかまって漂流の末、九死に一生を得られたとか?
鯨ではないが、流石にスケールが大きい。

19世紀の文豪ハーマン・メルヴィルの小説に「白鯨」というのがある。
この主人公の鯨もマッコウクジラだ。白い体色は突然変異らしいが・・・。

  日本人と鯨との関わりは太古の昔に遡り、縄文時代の遺跡からも明らかである。
「寄せ鯨」(弱ったり死んだりして打ち上げられた鯨)から本格的な捕鯨が始まったのは江戸時代以降、西海地方(佐賀県唐津市から長崎県五島付近)で、その中心になった五島の柏浦には鯨組の組主であった生島仁左衛門が描かせた「鯨絵巻」なるものが残っているという。
この絵巻物には捕鯨や加工、売りさばく方法、鯨解体の道具や構造、各部の切り方、組の組織、船の造り方、給与に至るまで忠実に描かれているというから興味深い。

  世界には何世紀もの間、捕鯨を生活の糧として鯨肉を食する習慣のあるノルウェーのような国もある。
しかしながら、大半の国では鯨油、鯨鬚、鯨歯のみを利用し、それ以外は廃棄されてきた。
日本では余すところなく鯨を天恵として享受してきた食文化や伝統工芸が脈々と生き続けてきたのである。これは世界に類を見ないという。

  捕鯨については賛否両論ある。もちろん絶滅の危機に瀕している種は守らねばならないが、保護された結果ミンククジラなどは頭数を10倍にまで増やしており、主食であるサンマ、サバ、イワシ、スケトウダラ、スルメイカ等の減少が懸念されるようになってきた。
鯨肉は牛肉、豚肉、鶏肉と比べても脂質、コレステロール値が非常に低く、健康食品としても見直されている。「鯨をすべて使い切ってきた日本の鯨文化こそ、本当のエコロジー」と訴える人もいる。
先人たちの知恵は私たちの骨や血に受け継がれている筈である。
生きるために人間は様々な動植物の命をいただいている。
鯨と言えば尾の身やすのこ、かのこ肉ばかりを珍重し贅沢を追求するのではなく、我々の祖先が共存してきた歴史を知り、自然界から必要な分だけ頂戴して、決して粗末にしないという謙虚な精神を学ぶべきだと思う。
鯨は時に私たちの血肉となり、その姿は勇気を与え、限りないロマンを育んできた。
今、鯨は大海原に身をうねらせ潮を吹きながら、愚かな人間達に警告を与えているのかもしれない。

  さあ、大晦日から大鍋に作って食べ続けた鯨汁も今日でラスト。
となれば、ここはやはり「酔鯨」を傾けながら山海の栄養が凝縮された最後の一滴まで鯨汁を平らげるとしようか?!
そして世界の海を自在に悠々と回遊する鯨のように壮大な夢想に酔うのだ・・・。
準備は整っている。
長い夢から醒めたら、いざ八つの海へ向けて函館の巴の港から船出しよう!

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