迷いの窓NO.51
懐かしき味
2005.1.5
  昨年末、大阪の友人から送られてきた郵パックの中に、思いがけなく丸餅と白味噌が入っていて感激した。
京都にいる頃、彼女は決まって元旦か2日に我が家へやってきて、私の作った京風の白味噌雑煮を食べるのが常だった。
彼女は大阪育ちだが、ご両親が高知のご出身でお家ではおすましのお雑煮だったから、毎年京都で食べるこのお雑煮を楽しみにしてくれていたのだ。
「あなたが遠くへ行っちゃったから食べられないわ。」などと懐かしくも嬉しい会話を交わしたばかりだった。

  北海道には、広島町や新十津川町など開拓当時の入植者によって故郷の名前をつけられた地名がある。その家々でお雑煮も様々であるが、すまし仕立てのお汁に焼いたのし餅(角餅)を入れるところが多いようだ。
私が幼い頃から慣れ親しんだお雑煮は、鶏ガラで取った出し汁に、鶏肉、つと、凍り豆腐、三つ葉を入れ、柚子を添えたおすましである。
昨年はありがたいことに、函館でご縁のできた真言宗のお寺の煤払いをさせていただいた折、お下がりの丸餅をいただき、白味噌も京都の物産展で求めたものがあったので、かろうじて白味噌のお雑煮を食べることができた。
しかし、今年は食材がなかった。
京風雑煮には丸餅、白味噌は言うまでもなく、金時人参や梅を象った生麩、頭芋も欠かせない。
この冬、金時人参は1本480円という高値であったが、あの柔らかさは西洋人参には代えがたいものがある。
最後に柚子と糸鰹をのせると、何とも言えない滋味風味が立ち上るのであった。
友人の心遣いのお陰で、今年も2種類のお雑煮を食すことができたことを幸せに思う。

  友人曰く「うま煮(筑前煮)に入っていた赤こんにゃくも思い出だわ。」という。
そう言えば、私はいつも近江八幡名産の「赤こんにゃく」を使っていた。
知る人ぞ知るレンガ色をした赤こんにゃく、滋賀県の近江八幡に伝わる奇祭「左義長祭り」の山車に飾られる赤紙をヒントに近江商人が考えたものだとも、派手好きな織田信長公がこんにゃくまで赤く染めさせたのが由来とも言われる。
味は普通のこんにゃくとさほど変わらないが、ぷりぷりとした歯ごたえがよい。
こんにゃくはそもそも繊維が豊富でカルシュウムも牛乳に匹敵するという。
さらに赤こんにゃくは彩りがよく、三二酸化鉄を添加しているので鉄分がふんだんに含まれており、地元では冠婚葬祭に欠くことができない食材なのである。
友人は良いことを思い出させてくれたと思う。
最近「鉄分が不足」と言われた叔母のために、ネットで取り寄せて食べてもらおうという考えが不意に浮かんだからである。
先日来、夢中になって読んでいるお気に入りの詩の中に「言葉の保管所はお互いがお互いに他人のこころの中」というフレーズがあったが、「味覚の保管所」も同じなのかもしれない。

  そして私にとって新春の寿ぎになくてはならぬ京都の味覚と言えば、お正月限定のお菓子「花びら餅」である。
年魚(アユ)に見立て、味噌餡にさした牛蒡が姿を覗かせる半月形の白き求肥の餅の肌に包まれて、ほのかな桃色の餡が美しく透けて見える。
見るだけで初春の華やいだ気持にさせるお菓子である。
あの滑らかな舌触りも、もちもちっとした食感もたまらない。
今年は函館の百貨店に入っている和菓子やさんで何とか入手できた。
このお菓子の歴史は古く、平安時代から宮中で長寿を願う「お歯固めの儀式」に使われ、「宮中雑煮」「包雑煮」と呼ばれて、現在の京風雑煮の面影を偲ばせている。

  日本でお雑煮ほど郷土色を色濃く留め、郷愁を誘う食文化は他にあるまい。
時代が豊かになり、現代の子供たちにとってお雑煮もお節も必ずしもご馳走ではなくなったようであるが、そういう時代だからこそ、正しい食の理解を通して元気な身体と元気な心を養う「食育」ということが見直されていることも事実である。
母が作ってくれたお正月の味は、しっかりと私の味蕾に刻まれている。
こうして私は生まれ育った北海道と、その地よりさらに長い年月を過した第二の故郷とも言うべき京都、この全く異なる土壌で育まれた二つの味を知ることができた。

  食は命を繋ぐもの。だからこそ手間ひまかけ、愛情をかけて伝えたい。
先人たちの智恵と日本にしかない食の伝統文化を継承していくことも、子供を守り育て、次世代に未来を渡す私たちの使命ではあるまいか?
お雑煮の椀に身も心も温められながら、そんなことを考えた。

  お正月の三が日もあっという間に過ぎ、まもなく1月7日は人日(じんじつ)。
御馳走と御酒で少々疲れぎみの胃腸を、七草粥でいたわることにしよう。

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