迷いの窓NO.29
時間(とき)の橋
2004.05.31
  早朝、叔母の四十年来の親友からお電話があり、朝市で求められた”たけのこ”を届けて下さった。  北海道でたけのこと言えば、「ササタケノコ」のことであるが、青々として新鮮そのもの!
同じ袋の中に、広告紙で包んだ、「すずらん」の花束がさりげなく添えられていた。
北海道は今、かれんな白い花が爽やかな香りを運ぶ「すずらん」の季節。
病床の叔母の身には、花言葉"return of happiness"  (幸福の再来)に託されたお気持ちが、心に沁みたに違いない。

  京都では初夏を彩る花菖蒲が盛りとのことである。
お香の世界では、今頃の季節「菖蒲香(あやめこう)」という組香(くみこう)が行われる。
「香当て競技」の要素を持ち合わせる組香には、必ず季節や文学的な主題があり、菖蒲香の出典は以下のようなことである。
<鳥羽院の女房のお一人に菖蒲前(あやめのまえ)という美しい方がおられた。
ある時、源頼政という方が一目惚れをして、恋文を送り続け三年の月日が経った頃・・・
それを耳にされた鳥羽院が頼政の気持ちをお試しになりたいとお思いになり、年齢や容姿のよく似た五人の女性に同じ衣装をつけさせ、「見事、菖蒲前を見分けることができたなら、与えよう。」と仰せになった。  当時の懸想はほとんどが垣間見(かいまみ)である。
菖蒲どうして選ぶことなどできようか?
畏れ多いことに、頼政は咄嗟に一首の歌を院に奉る。
  五月雨の池の真菰(まこも)に水増していづれ菖蒲(あやめ)とひきそわづらふ

※真菰はイネ科の多年草で菖蒲の葉によく似ている。
真菰と菖蒲の葉さえ区別がつきませんのに、何れ菖蒲か杜若、優劣つけがたい美しさに見分けのつくはずもございません、という意味であろう。

院はこの歌に感心され、(私見ではこのような粋狂なことをして反省されたのではないかと思うのだが)涙を流してご寵愛の菖蒲前を頼政に授けた、というものである。>『源平盛衰記』

この組香では五種類の異なる香を歌の句に当てはめ、「いづれ菖蒲と」の四の句だけを試し香として聞かせ、たき出した五つの香の中から聞き当てるというもの。
出典の意図から、まぎらわしい香木を用いるのが妙味で、なかなか当たらないことから競技はヒートアップしてしまう。
湿り気のあるこの梅雨の季節が聞香(もんこう)には最適で、ひと時無我の境地を楽しみたい心境に至る。

  一夫多妻制の時代とは言え、女性が物のようにやりとりされてしまう菖蒲前のお話は失礼極まりないと言えなくもないが、いにしえには男性の「あはれ」を感じるような逸話や物語も少なくない。
小野小町に百夜通いをして百日目に亡くなった深草少将、光源氏の正妻となった女三宮と間違いを犯した罪におののき、病の床に臥して死んでいく柏木、あるいは「芹摘む」(物事が叶わぬこと)という詞の発端となった哀れな下男。
<後宮で庭掃除をしていた男が風で御簾がめくれあがった時に垣間見た、芹を召し上がるお后様に恋焦がれ、一目お会いしたいと毎日芹を摘んで御簾の傍らに置くうちに、恋煩いで死んでしまったという逸話。>

何れも今様に言うと一種のストーカーなのだろうが、思いが叶わないからと嫌がらせや殺人にまでエスカレートしてしまう現代のそれに比べたら、思いを伝えることも出来ず人知れず去っていくいにしえ人の何と純粋なことか!
千年の時を経ても、花や鳥や生きとし生けるものの中に託す人の「思い」は、やはり不変であると信じたい。
ストレスで疲れきった現代人には、時間(とき)の橋を渡り、遠い祖先の透明な心に触れることで、渇ききった心に潤いを取り戻す時間が、ともすると必要なのかもしれない。

ちなみに菖蒲の花言葉は「優雅な心」であるという。
北海道でその気高く、優美な姿が見られるのは、もう少し先のことになりそうである。


あやめ、花しょうぶ、かきつばた(アヤメ科 アヤメ属)
「源平盛衰記」成立の頃(鎌倉時代後期)にはあやめ、花しょうぶ共に「あやめ」と呼ばれていたために、紛らわしいという表現が「いずれあやめかきつばた」となったと言われているが、区別は今もって難しい。
簡単な見分け方は、花びら(外花被片)の基のところにあやめは綾目状の模様、花しょうぶは黄色のすじ、かきつばたは白いすじがそれぞれあるのが特徴。
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