NO23 釈迦と弟子 2004.4.8 |
今やインターネットの世界は、私にはなくてはならないものになっている。 この時代に生きて良かったとつくづく思う。 昨年の夏、ライフワークである『空飛ぶ水冠』を発信して以来、身の回りに起こった変化、人の縁の不思議さと、縁に支えられて自分がここに生きていることを実感している。 その最たるものは、「日本ト―タライフ協会」(http://www/tota-life.com/)のメンバーの方々との出逢いである。 人の命の終焉に携わるものとして、久世理事長のもとに集まった崇高にして純粋な魂。 その構図は、棟方志功画伯を世界的に有名にした最高傑作「釈迦十大弟子」を彷彿とさせる。 私の如き一個人に遠くから会いに来て下さる方や、メールを下さる方がいらしゃる。 企業のトップというお立場にある方が、一般の社会常識では考えられないことである。 勿論、理事長はお釈迦様。仏弟子は十人どころか全国に沢山おられ、今度はどんなお弟子様にお逢いできるのか、次第に楽しみになっていることは事実。 どなたが 人間と言うものは綺麗なものばかり見て暮らす訳にはいかない。 しかしながら、目の前にあるものが絶対的な善であると、こちらまで心洗われるような気がするものである。メンバーの方々との出逢いは私にとって、まさしく心の浄化作用と言えよう。 十数年も前になろうか? 休日のある日、京都の祇園を逍遥していた時のことである。 一軒のギャラリーの前を通りかかったとき、「ご覧になるだけでも・・・」という店員さんの声に誘われるように、中へ足を踏み入れた。案内の風情が、何とも自然でスマートであった。 そこは「高麗青磁」の世界!静寂を極めた翡翠色の輝きは、息を呑むほど美しかった。 あれほど光沢があり、造詣の素晴らしい青磁は初めて目にした。 素人目にも芸術品に違いないと確信させる説得力があった。 今まで「青磁」と認識していたものは何だったのか?という疑問が頭をもたげていた。 だいたい青磁や白磁というものは多彩色の施された有田焼や九谷焼のように主張しないし、そうかと言って土物のように「わび」「さび」を醸し出すものでもない。 だが、作陶家がひとたび手を出せば、一生貧乏と言われる青磁だけに、奥は深そうである。 作品は韓国で人間文化財(人間国宝)として知られた、柳海剛先生のものであった。 「良いものに触れると目がスーとしませんか?この感覚はご覧になっていただかないと解かりません。」明らかに商品を買う意志のない人間に対してその人の言葉には 「本物に出合っていただけただけでも、価値がありました。ありがとうございます。」という販売員の誇りのようなものが読み取れた。 もちろん簡単に手に入れられるものではなく、それを飾るに相応しい家にも住まいしていなかったが、至福の時を過ごさせてもらったような気がした。 ギャラリーを出た後も、春の風に吹かれながら、しばらく背筋までもが天に向かって伸びるような心の充足感を得たのだった。 私が葬儀の仕事に携わるようになったのは、それから年月を重ねてからの事であるが、日常の業務で青磁の香炉に触れる度、その時のことを思い出した。 後にも先にもこんな清々しい思いを抱かせた接客を私は知らない。 販売とはお金と物のやり取りに陥ってしまいやすいものだ。 そればかりか、商品を販売する側の人間がお客様に対して、「うちのお客さんと違う」というレッテルを貼ってしまうことが往々にしてある。 しかし、顧客満足とは、サービスを提供する側の真心の中に生じるものである。 日本ト―タライフ協会の皆様は喩えるなら、 これほどまでにひたむきに「悲しみのプロ」に徹した善意の方々を私は他に知らない! 「悲しみのプロ」とは、悲しみを共鳴、共苦することのできる最も人間らしい人々の尊称であると、私は理解している。 さて現世の釈迦の独り言からは、「初老の影・・・ぼちぼち引退?」などというつぶやきが聞こえてくるが、仏陀は80歳の涅槃まで仏法を説かれたのである。 心の乾ききったこの時代に、慈悲の「悲」なる感情を取り戻すためにも、まだまだ頑張っていただかなくては・・・。 今日4月8日は釈迦の降誕会であると同時に、私がこの世に生を受けた日でもある。 現世でお釈迦様やお弟子様の御心に これからの人生たとえいかなる泥中にあろうとも、せめて心だけはお釈迦様のお 拈華微笑(ねんげみしょう) 「以心伝心」と同義。釈迦が後継ぎを決めようとされるとき、コンパラゲという華を手に持ち、弟子大衆の前に示した。すると皆が不思議そうに見守る中、摩訶迦葉のみが微笑んだ。言葉や論理を仲立ちとせず、悟った心どうしが感応し共振する様。(玄侑宋久著『禅的生活』より) 棟方志功と「釈迦十大弟子」 生前、棟方志功先生のお仕事振りをフィルムで拝見したことがある。 あたかも神仏が下りてきて、その手に仕事をさせているようであった。 この作品も下絵を描かず、板木に一気に彫り上げたという。 画伯の 曰く、「柵」とは巡礼者が寺々を巡って納める札のことで、信心に似た気持ちをこめて制作した証として作品につけた呼称。 |