![]() 救われし者 2004.3.28 |
最も楽しみにしていたTVドラマが最終回を迎えた。 山崎豊子原作の「白い巨塔」。 1978年TVドラマ化され、財前五郎役の田宮二郎が全身全霊を賭けた迫真の演技と、最終回の放送直前に猟銃自殺したことで、あまりにも鮮烈な印象として表題と共に心に刻まれていた作品である。 本格的なリメイクはあれ以来だ。 「天上の青」「赤い月」などの作品で注目される脚本家、井上由美子さんの手になるものだけに期待も大きかったが、ラストまで期待は裏切られなかった。 実はTVドラマ化される以前の1966年、同名の映画がやはり生涯の当たり役と言われた田宮二郎の主演で上映されていたことを最近知った。 「日本映画の黄金時代を堪能していただき、田宮二郎の財前五郎を懐かしんでもらいたい。」とのオーナーの意向で、地元の市民会館のモーニングショーとして再上映されることになったからである。 このタイミングだけに、小さな映画館はパイプ椅子を出さなければ座れぬほどの人であふれた。 モノクロのフィルムからいきなり大阪梅田の懐かしい映像が飛び込んできたかと思うと、私には聞きなれた関西弁が聞こえてきた。 確かに舞台は「浪速大学」というぐらいだから大阪だったのだ。 とりわけ財前五郎の義父役のコテコテの「関西弁」が、底抜けの悪の演出に一役買っていた。 同じ作品でも使われる言葉によって、こうも印象が異なるものかと目を見開いた。 この映画、往年の名役者が大集合。 東野栄次郎、小澤栄太郎、田村高廣、小川真由美、藤村志保・・・。 ご存知の方は、それぞれの役柄を想像していただきたい。 悪を徹底的にリアルに描いたことで、かえって人間的な魅力が引き出された勇作。 ラストは医療裁判が原告側の敗訴となり、財前が大学教授として白い巨塔の頂点に立ったところでエンド。社会問題を提起する形となった。 田宮二郎の魂は財前五郎として昇華され、再び現実には戻れなかったような気がする。 さて今回のドラマの方であるが、財前が それは外科医として日々トレーニングを欠かさなかったプロのなせる業であり、自己陶酔していくシーンでもある。 死の床にあって、己のGot Handsが虚空をさまよった時、彼は何を思ったのか? そのとき初めて手につかんだ権威がいかに空しいものかを知り、本当の意味で人を救う医師の心を取り戻したのかもしれぬし、逆に最後まで救いがたき業を抱いたまま彼らしく逝ったのかもしれない。 時が移り、医学は革新的に進歩したが、単純な医療ミスは繰り返され、医者の名義貸し、はたまた医者が損保会社へ患者の診療情報を「横流し」等の報道が伝えられ、医療従事者のモラルを問われる問題が後を絶たない。 人の命の裏側でお金のやり取りが公然と行われ、多くの場合、弱者が権力の前に泣き寝入りをしなければならない今も昔と変わらぬ社会構造に激しい憤りを覚えずにはいられない。 人を救うのは薬や医療技術ばかりではない。最後に人を救うのはやはり人間の心である。 同じように死を迎えるにしても、こころのケアーがあれば、人は死の恐怖から解き放たれて安らかな死を迎えることもできる。 原作の大きさも然る事ながら、「人の命の重さ」を改めて考えさせられるドラマであった。 ![]() 18世紀英国で奴隷商人をしていた、荒くれ者で冷酷な男ジョン・ニュートンが、その後牧師となり、死ぬまで神の恵みを語り伝えた一曲の讃美歌「 透き通った美しいヘイリーの歌声と共に、再びこの作品が私の心に刻まれることは間違いない。 「命の重さ」はあの頃と変わってはいない・・・。 Amazing grace! How sweet the sound That saved wretch like me 驚くほどの恵、なんと優しい響きか 私のようなならず者さえ 救われた 〜山崎豊子原作「白い巨塔」とは?〜 厳正であるべき「白い巨塔」大学病院の赤裸々な実態と、今日ますますその重要性を増している医事裁判に題材をとり、徹底した取材によって、人間の生命の尊厳と、二人の男の対照的生き方とを劇的に描ききった、社会派小説の金字塔。(新潮文庫より) |
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