迷いの窓NO.94
悟りの窓
(中編)
2006.3.15
  丹田の“丹”とは不老不死の薬。丹田とは東洋思想で(へそ)下5cm〜7cmあたりに(握りこぶし一つほどのところ)特殊な空間があり、エネルギー(気)の溜まるところと考えられてきた。
昨年の10月からヴォイストレーニングを始め、“丹田”という言葉に再び出会い、丹田を意識するためのトレーニングが開始された。
弓を引くのも声を出すのも全く同じなのである。
弓を引くときに声は出さないが、理論上は大きな声を出しながら矢を射たなら的中率が高いと言うことだ。

<トレーニングその1>
@上半身はリラックスさせ、下半身に力を入れる
A足は肩幅に開いてまっすぐに立ち、両手を上げて耳の横にぴったりとつけ、バランスボールなどがあれば、その手で支えるようにする
B顎を引き、息を吸い込み母音の“イ”の口をして歯の後ろに舌をあてTu()Tu()Tu()Tu()と息を強くあてる
それを何度も何度も繰り返すとお臍の下あたりが疲れて辛くなってくる。
つまりそこが“丹田”という訳だ。

また、トレーニングの基本として必ず最初にすることは
<トレーニングその2>
@足を肩幅に開き、上半身をリラックスさせ、下半身に力を入れてまっすぐに立つ
A両鼻がくっついて音がするほど息を吸い込む
B吸いきったところで6秒間息を止める
C口をすぼめて息がなくまるまですっかり吐く
D吐ききったところで6秒間息を止める
E最後に口から息を吸い込む

Cの時に息を吐ききっていると、自然に空気がたくさん取り込めるしくみになっている。
これは胸式呼吸ではなくて、動きにくい胸郭を大きく膨らませる訓練である。
ヴォイストレーニングも呼吸法がよく理解されていなかった時代には柔軟体操で腹筋を鍛えるような回り道もされたそうだ。
が、現在のトレーニング法は上半身をあくまでもリラックスさせ、下半身は膝、太腿、お尻、腹筋、特に背筋をフル活用し、緊張と弛緩をコントロールすることが大切という理論の上に成り立っている。

  腹式呼吸と言えば一般的に息を吸うときにお腹を膨らませ、吐くときにお腹を凹ますという呼吸法と理解されているのではなかろうか?
私もそうであった。朗読教室の発声練習でいつもこの呼吸法をしてきた。仰向けに寝て辞書など厚い書物をお腹の上に置き、膨らませたり凹ませたりしながら練習を行ったこともある。
横隔膜の収縮と弛緩によって上下運動をするもので「順腹式呼吸」と呼ぶそうである。
これは身体をリラックスさせる時の呼吸法である。

  ところで腹式呼吸には大きく二通りあって、丹田呼吸は順腹式呼吸よりも腹筋を使った「逆腹式呼吸」にあたるという。「逆腹式」という説明で私は長い間の大きな疑問が解けた気がした。
胸郭を広げるように息を吸い、息を吐きながらお腹をグーと膨らますと、横隔膜の上下運動は10cmにもなり、換気量が増えるのでより深い呼吸ができる。
肛門を締めて気を逃さないようにする。丹田を意識してそこに空気を溜める(収める)ような感覚を養う訳だが、これは鍛錬しないと習得するのは難しい。
身体のどこにも無理がかからず、頭が心地よく澄んだ状態になるという。
大きな声やここ一番というパワーを出したい時、気力の充実を図り、集中力を高めたい時の呼吸法である。修練が進むと本当の自分、宇宙の中心を感じることが可能になるのだそうだ。

  日本の武道、能、歌舞伎をはじめとする日本の芸道ではこの丹田呼吸が実践されてきた。
さしずめ武道ならその最たるものは合気道であろう。
技をかけた方もかけられた方も、痛みや疲れを感じないという。
そしてこの呼吸法を究めたものが坐禅である。
釈迦は苦行を通して呼吸訓練をされてきたが、日本では天台宗の「天台小止観」や禅宗の「数息観」として発達し、悟りの境地を開いてきた。それが「無我」「空」と呼ばれるものである。
止観にしても数息観にしても最終的には息をしているかいないかわからないような呼吸、自分が呼吸しているという感覚を超え、自然と、大宇宙と一体になる心境、すなわち悟りの世界だという。
深い呼吸、リズムが時空に融け込んでいくということではないか?!

  ごく最近の事例を挙げれば、トリノオリンピックにおける荒川静香選手のフィギュアスケートの演技を思い起こしていただければ解かり易いだろうか?「無心でした」という言葉の中に「無我の境地」を感じた。演技中に数息観と同じようなことを実践されていたらしい。
3秒を数えるのに1、2、3、と数えたのでは3秒に満たない。彼女はワンアイスクリーム、ツーアイスクリーム、スリーアイスクリームと数えていたという。そのユニークな方法は調息に大いに役立ったことだろう。
スタンディングオベーションは演技者と観客が一体になった瞬間だったに違いない。
呼吸が上手くできているから観客は何の不安も感じないどころか、同じ空気を吸うこと、テレビで臨場感を味わうことにより気持ちがよくなり、感動を覚えることができたのである。

  朗読やナレーション、演劇、合いの手だってそうである。
息継ぎが上手くいかないと間が抜けてしまったり、聞いていて息苦しかったりする。
武道では「隙」となる。
笑いはもっとシビアーだ。“間”というと私はいつも天才喜劇役者として知られた藤山寛美さんのあの“絶妙の間”のことが思い出される。この“間”だけは自分で体得するもので、決して人に教えられることではないように思う。(NO.95に続く

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