迷いの窓NO.91
赤い靴
2002.2.2
  あなたの好きな色は何ですか?そして苦手な色は?
私は青や緑が好きである。しかし、最も好きな色は?と問われたら、「紫」と答えるだろう。
紫という色は好き嫌いのはっきり分かれる色だという。
この色が嫌いな人は紫にセックスアピールや怪しいイメージを持つ人もいるとか?
一口に紫と言っても様々な色があり、高貴な色と言われる反面、TPOを間違えると、とんでもないことになりかねない。
一頃、「セクシャルバイオレットNO.1」という曲が流行ったことがあった。
何を隠そう、その当時大阪フェスティバルホールまで桑名正博のコンサートへ足を運んでいる私であるが・・・。
情熱の朱哀愁の青、今混ぜながら夢の世界へ
ああ、そこから先は・・・」という歌詞であった。

  昨晩そんなことを考えながら床に就いたら、何故か青いガラガラヘビ(と言っても青大将ではなく、自然界には存在しない目の覚めるような原色の青)が真っ赤な長いベロを出しながら私の体を這ってきたのにうなされ、横に寝ている叔母に起こされた。
何とも気味が悪くて、怖い夢だった。
どんな夢解きが隠されていたのだろう?

  紫が好きで着る服も多い・・・という人は、夢見がちで空想に耽ることが多いタイプとあった。これは当たっているかも?なるほど・・・と読み進めてみると、紫は精神性を表す色である。芸術的センスに優れた人や宗教家、占い師等、人と違う何かを持っている人が多い。また非常にデリケートで感性豊かな人が多いのも特徴。一方では自分の世界に固執し過ぎて協調性に欠けることもある。
「宗教家」とか「教祖」というのは色とは関係ない占いにも書かれていたことがあるので、ちょっとドキッとした。デリケートとは思わないが、人とは違う“天然記念物”扱いされることはある。

  逆に私が最も苦手な色は赤である。
物心ついた頃から赤い服や赤いものを身につけたことがほとんどない。これは母の影響も大きかったかもしれない。
母もランドセルは“緑”だったという。私の時代は女の子は赤か朱色、男の子は大方黒だった。母の話を聞いてからというもの、私は緑色のランドセルが欲しくて欲しくてたまらなかった。
そうこうしているうちに母方の祖父から朱色のランドセルが届けられて、泣く泣くあきらめるしかなかった。

  実は同居している叔母も赤が異常なほど嫌いな人である。
真っ赤なトマトや、マグロの赤身も食べられないぐらいだから徹底している。
そんな叔母の誕生日に心優しき友から花束の祝福を受けた。黄色と紫という叔母の最も好みそうな色調で、いかにも上品でセンスの良さが伺われた。
彼女はカラーコーディネートやカラーセラピーに興味があり、自らもパーソナルカラー診断を受けるなどして色の勉強をしているので、「流石ね!叔母の好きな色もわかるのね。」と言ったら、とても喜んでくれて、皆で幸せを共有したのだった。

  その叔母から私が小さい時にプレゼントされたのがアンデルセンの『赤い靴』だった。
感受性の強かった私には怖いお話だった。
アンデルセンはデンマークの貧しい靴屋の子供として生まれ、彼自身14歳で堅信礼を受けた敬虔なキリスト教徒であった。そのような彼の実生活そのものから生まれた作品という印象が色濃い。
記憶を手繰ると、赤い靴を手に入れた主人公の少女はその靴を履いて踊るのが楽しくて楽しくて教会へ行くのも、働くのも忘れて踊ってばかりいた。ある時それを咎めた人物に「ダンスをする時はしっかりくっついているように。」という呪文を靴にかけられてしまう。すると、赤い靴が勝手に踊り始め、靴が脱げないまま昼も夜も雨の日も少女は踊り続け、疲れ果てたあげく、首切り役人のところへ行って両足を切断してもらうというストーリーであった。確か義足と松葉杖で教会の奉仕を続けたはずだが、空想に耽ることが常だった幼年時代、斧で「足を切断される」という怖ろしい絵と血の連想が「戒めの赤」となって、あまりにも鮮烈に赤というイメージを植えつけてしまったように思う。
グリム童話の「マリアの子供」で開けてはいけない13番目の扉を開けてしまう感覚と一緒だった。

  母は言った。「素直に自分の非を認め悔い改めていたら、こんなことにならなかったのに!」と。しかし、私には物語の主人公の気持ちが痛いほど理解できた。
なぜなら私は強情な子供だったからである。「ごめんなさい。」と言えずに薄暗い石炭小屋(おとぎばなしではなく、子供の頃暖房は石炭だったので、どこの家にもあった)に鍵をかけられ、閉じ込められたことがあった。その時の私さながら、赤の記憶はますます心の奥深くに閉じ込められていった。

  ところが、小学校低学年の時、突然与えられたのが“赤いフィギュアスケート靴”であった。
白一色の雪景色に赤は一層センセーショナルに映った。
スケートは北国の子供にとってはそりやスキーと同じように冬の代表的な遊びだ。
子供のことだから、時間を忘れてスケートリンクになった小学校の校庭や市のスポーツセンターでいつまでも遊んでいたりする。
その赤い色を見るたび、「早く帰らなくちゃ、お母さんに叱られるよ。」と靴が囁いているような気がした。
育ち盛りのこと、その靴は何年も履くことはなく、年下の近所の仲良しに譲った後、スケート靴は憧れの“白”に替わった。その頃には母から叱られることはなくなっていたかもしれない。私はようやく息苦しい戒めの色から解放されたのだった。

  社交ダンスのシューズも学生時代は長く白であったし、ダンスパーティーの時にはシルバーを履いていた。
今は一般的に合わせ易いサテン地のピンクベージュが主流だが、私はモダン用もラテン用も黒である。スケート靴以降、私は二度と赤い靴を履くことはなかった。(NO.92へ続く

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