迷いの窓NO.80
友好同盟U
2005.9.21
  それはさておき、こんな時はお勧めをいただくに限る。
出てきたのは「ザ・グレンリベット」だった。
すべてのシングルモルトの原点であり、政府公認第1号となったこの名前には定冠詞「THE]をつけることが許されている。良質な水とピートを育む豊かな風土に育まれフランスのリムザン・オーク樽で熟成された、繊細でエレガントな味わいが特徴。
※ピート:寒冷地に生えるヒースなどの植物が堆積してできた泥炭のことで、スコットランドには無尽蔵にあると言われる。モルトウイスキーは麦芽の乾燥時にピートを焚くことにより、特有の香り(スモ―キーフレーバー)をつける。

私はストレートでいただく。マスターが注意深く酒量を測りながら、ワインのテイスティングに使われるようなふくらんだボディーより口の狭くなったグラスに注がれた。
それが大きすぎず、小さすぎずちょうど手に馴染んでいい。
中国茶の聞香杯のごとく香りを楽しむためのグラスだ。

  2 杯目を注文する頃には、白洲次郎氏が愛飲した「マッカラン」という名前を思い出していた。
「モルトのロールスロイス」と称えられ、シングルモルトの最高峰として知られている。
スペイン産のシェリー樽が高価になったため現在ではほとんどの蒸留所がバーボンの空き樽を使っているそうだが、マッカラン蒸留所では良質のシェリー樽しか使用しない。この拘りが、赤みの強い、素晴らしい芳香を放つ贅沢な品質となって、絶妙のハーモニーを醸し出すのだろう。
ウイスキー通の心を魅了して止まなかったのも頷ける。
白洲次郎氏がよく訪れたと言われる東京帝国ホテルの「オールドインペリアルバー」には今でも1954〜83年までの「マッカラン」の希少ボトルが30種は揃っているという。

  いつの間にかバーは私たちだけになっていた。
いかに長尻の私でもバーで飲むのはせいぜい3杯だ。
そのうちマスターと話が弾み、<試しにどうぞ>と少しだけ出されたのが「ラフロイグ」というアイラ系のスコッチだった。
これは私にとって禁断の酒だったかもしれない。
強烈なピート香の効いたこのスコッチは“ヨウドチンキ”の匂いと言えば想像しやすいだろう。
あまりの個性ゆえに当然のことながらこのお酒を飲む人、いや飲める人は少ないそうだ。
しかし、<マーラーの交響曲のよう>などと表現されると、途端に好奇心の虫が私の中で音符のように跳ね回り、琥珀色の向こうにある秘密をどうしても知りたくなってしまう。

  表千家の堀内宗心宗匠が『家庭画報』に連載されている「宗心茶話」の10月号に「お酒は陶酔、お茶は覚醒されてくれるもの。どちらも人生に必要なもの。」とあった。
お酒とお茶の関係や歴史に触れられた大変興味深いお話であった。
そして陶酔が度を越してはいけないとも・・・。
程よい陶酔と覚醒。人は覚醒するために陶酔するのかもしれない。
宗匠にはご縁があって何度かお目に掛かったことがあるが、<こういう方をして本当の「お茶人」、(お茶をわかり人生をわかった「お茶のある人」)と言うのだ。>と身も心も清められる思いがした。

  お酒は人生を楽しくさせるもの。そしてある時は人を癒し、慰めてくれるもの。
自分の健康状態に合わせて、「水冠」がとんだ「酔漢」にならぬよう、ドクターストップのかかる前に適量を修正して友好同盟を結んでおこう。


  実はこのバーの話には後日談がある。訪れた4日後の弓道場での出来事。
そう言えば最近弓道教室が終わるお昼頃、袴姿も凛々しい男性が練習に見えていたことは気がついていた。この日初めて男性の顔を間近で見た私は目を丸くした。
その人は紛れもなくあのバーのマスターだった。
人は昼と夜の顔は違うものだ。
あまりのことに声も掛けられずその夜、私は再び店を訪ねた。
マスターは全く気がついていなかったが、世間が狭すぎるのには驚きである。
聞くところによると、弓歴18年、弓道4段の腕前というではないか?!
もうマスターとは呼べなくなってしまった。師匠を前にしては陶酔も出来そうにない。
マスターはやんわりと否定したが、店内の内装が円相を意識したものである理由も得心した。

  店を出ると、夜空には満月が・・・。
月明かりの下、人の縁の不思議さを感じながら、家に辿り着くまで私は優しい夜気に包まれていた。

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