NO8
葬送の道
2003.10.18
   果たしてコラム「独り言」のお約束の通り、大阪高級葬儀株式会社の久世栄三郎氏から、一本のビデオが私の手元に届けられた。
それは、大阪のホテルで挙行されたある優良企業の社葬(告別献花式)のビデオ。
私が同社のプロデュースしたお式のビデオを拝見するのは三度目である。

  一度目は、まだ私が葬祭業に関わる前の話。あれから七年の歳月が流れている。
こんな葬儀の世界がある、という衝撃!
自ら司会のマイクを握り、ホテル葬の時代の到来を宣言し、将来の葬祭業の進むべき道を哲学で熱く語る社長が、だだ者でないことだけは理解できた。

  二度目は昨年、大阪のNPO法人やすらぎネット(任意後見ネットワーク)で、久世氏が講師をボランティアで引き受けられている「意思葬」の研修会でのこと。
故人の人生を綿密な聞き取り調査のもとに、余すところなく映し出した追悼のビデオを、お通夜に間に合わせてしまうプロ技に、またも衝撃が走る!
同時に映像を通して、ご遺族や参列者がどんなに心癒されたかがそのまま伝わってくるような気がした。

  そしてこの度お送りいただいた社葬の映像を体感した時、「ローマは一日にして成らず」という言葉を思い出していた。一つの信念のもとに、長い年月ノウハウを蓄積してこられたからこそ、結実した葬送の形。そこには故人の生きた証を蘇らせる「司式」が存在し、葬儀に携わった人の優しさがあふれている。
それは明らかに善行から生じるのであって、利益優先と言う経営方針からは決して生まれてこない、心温まるお式であった。

  無宗教葬という形式の葬儀が増えているが、無宗教であるからこそ、宗教の概念や「死の教育」を知ることなしに、軽軽に行われることには大いに危機感を抱いている。
何でも有りというのも困るが、施行を任されても無宗教葬に対して何のノウハウもないという葬儀社が想像以上に多いのもまた事実。
一方、高齢化社会の進んでいる現代、食いはぐれのない成長産業という理由だけで安易に異業種から参入してくる企業も増えている。
命の重さを考える時、やり直しがきかない終の儀式に対して、上記の如きは失礼極まりない話である。
「葬祭業と言う仕事ほど、ホスピタリティー精神を必要とする産業はない。」とのお覚悟のある方だけ従事していただきたいものである。
その覚悟のない方は、青木新門氏の著書「納棺夫日記」を読んでから、出直していただきたい。
業界には知る人も多いと思うが、私はこの一冊の本を葬祭業に携わる者のバイブルであると常々思っている。

  ローマの道も千里の道も一歩から。これはそのまま私のホームページにこそ教訓とすべきことである。葬祭業に携わる人の必見のページ、と久世氏にご推奨いただいているにも拘わらず、「法衣の部屋」の扉は未だに開かれていない。ご訪問いただいた方には申し訳ないと思っている。
法衣の世界は奥が深い。現在この部屋の構成を必死に模索している最中である。
小さき歩みながらも努力を積み重ねて、少しでもお役に立てるページ作りを心掛ける覚悟にて、扉を開けるその日まで今しばらくのお時間を頂戴したい。

  久世栄三郎氏の「葬送の道」は、時代と人を見つめながら限りなく未来へ向かっていくことだろう。  社員を見れば、その会社の顔が見えるという。
大阪高級葬儀社の社員のお一人お一人が社長の善行に導かれて、「葬儀を体験された方のご満足のお声」という功徳を受けられていることを皆様ご報告しながら、ビデオをお送りいただいた御礼を申し述べたい。
併せて、一部のWeb検索にようやくデビューした「空飛ぶ水冠」のことを、我が事のように喜んで下さった同社の心優しいスタッフの彼女に、心から感謝申し上げる。
 
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