![]() 時代劇の旅(前編) 2005.9.6 |
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近頃テレビ時代劇が面白くなくなった。人気のある若手歌手や俳優を起用した視聴率狙いは歴然としているが、一向に攻を奏していない感がある。 脚本も若者迎合型、この時代に<有り得ない>という言葉使いやシチュエーションが続出。 そればかりか所作も殺陣も嘆かわしいレベルのものが多く、鬘も似合っていないというのだから、抜擢された方も気の毒というものだ。 鬘と言えば、私は大学生時代、京都太秦の東映撮影所でエキストラのアルバイトをしたことがある。同じ下宿の友人が登録していたのだが、人数が足りなかったらしく、たまたま暇にしていた住人も駆り出されたのである。 初めてみる映画の世界、しかも好きな時代劇に出られるとあって興奮した。 撮影所の中を白馬ではなくラッタッタに乗った松平健さん、暴れん坊将軍のイメージと違うのが可笑しかった。まだ、マツケンサンバの片鱗もない時代の話だ。 いつもテレビで観ているおなじみの役者さんたちが手の届くところにいるのが不思議であった。 私に与えられた役は町娘と腰元。確かお正月TVの大型時代劇『一心太助』だったと思う。 鬘の部屋は壮観だった。 有名な女優さんの名前のついた鬘が標本のようにズラリと並んでいる。 私は標準より頭が小さい方だ。拝借した鬘には高田美和さんの名前が書かれていたことをはっきりと覚えている。<大女優の鬘をいいのかしら?>と気が引けたが嬉しくもあった。 その道のプロによって、鬘から着付まで神業的スピードで出来上がった。 友人と二人、顔を見合わせてはふき出し、恐る恐る鏡を覗いては逃げ出したい気持ちになった。しかし、そんなことは杞憂であった。顔はほとんど映りそうになかったのだから・・・。 腰元と言っても鈴が鳴って上様が大奥へお渡りになるシーンで頭を下げるので、鬘の先端部分しか映らない。それをあたかも大勢の腰元が並んでいるように映像をつなげていくのだ。 今では貴重な懐かしい思い出のひとこまである。 セットの暗がりから聞こえてきた岸田今日子さんの凛と響き渡る存在感のある声が印象に残っており、以来私にとって「憧れの声」となった。 さて話を戻そう。昨今の時代劇の中でとりわけ興ざめするのは「水戸黄門」ではなかろうか? 里見黄門にあの助さん、格さんは頼りなさ過ぎる。 立ち回りの効果音だけが虚しくこだましている。 由美かおるさんの入浴シーンとと印籠登場の時間帯に視聴率が跳ね上がると言われてきた国民的番組であるが、最近では胸の透く痛快さも感じられなくなってしまい、流石に黄門様ファンの叔母も今は再放送しか見ていない。 過去の時代劇の中で私が忘れ難いのは杉良太郎扮する十文字小弥太の「大江戸捜査網」。まず、オープニングナレーションで惹きつけられてしまう。 そしてクライマックスに「隠密同心心得の条」が流れると、いよいよテレビの前に釘付けになる。 <我が命我が物と思わず、武門の儀、あくまで陰にて己の器量伏し、ご下命いかにても果たすべし。なお死して屍拾うものなし!死して屍拾うものなし!!> 「遠山の金さん」はやはり杉さんの桜吹雪といなせな啖呵がよかった。 「銭形平次」は永遠に大川橋蔵さんのものだ。 最近の一番のお気に入りは「鬼平犯科帳」の吉右衛門さん。いつ見ても惚れ惚れする。 NHKの金曜時代劇「蝉時雨」。あの静かで穏やかな藤沢周平作品も久々に人気のドラマとなった。視聴者は良いものはちゃんと知っているのだ。 NHKの大河も見続ける気力を失いかけていたが、『義経』は気を吐いている。 義経ほど数々の伝説に彩られ、日本人から愛されつづけた時代劇のヒーローはいないだろう。 戦記ものというより、義経の内面を描きたかったという原作者の宮尾登美子さんの思いを滝沢秀明がまるで義経の魂が降臨したかのごとく好演している。 あれほど美しく雅で情に厚い義経を、そして哀しいまでに「寂しい義経」を演じられる人はそうあるまい。時代考証がしっかりしていることも見事だが、脚本が巧で惹きつけずにおかないものがある。それぞれの人間心理の深い襞を演じられる役者が揃っていることも見応えのあるところだ。 『義経』の放映が始まった頃、私は兜展に出品するため掌に乗るような水引兜製作に取り組んでいた。源平合戦の場面が映る度、兜ばかり注目していた。
私の作品は一番小さい基本形にも拘らず、大きさを調整する工程が遅々として進まずこの兜には苦しめられた。 兜の各部の名称を覚えることから始まり、鉢、しころ、八幡座、吹き返し、鍬形、吹き返しにつける紋、相生(あいおい)結びのあご紐をパーツ毎に作ってワイヤーで繋いでいくのである。 唯一楽しいのは色合わせであり、難しいところでもある。 先生や先輩方の作品は私のとは比べ物にならぬほど大きくて手の込んだ芸術作品である。3ヶ月の製作日数を要するものもある。 先生は兜製作のために本や雑誌、人形店のパンフレットなど資料をコツコツと集め、歴史を調べ上げ、毎年新しいものにチャレンジされていた。 たゆみない努力無しには何事も大成しないことと、師の年賀状に書かれていた「精進」の意味が改めて理解できたような気がした。 大河ドラマ「義経」のベースには『宮尾本 平家物語』の存在がある。この平家物語こそ作家として50年来の夢の結晶であり、10〜20年という長い歳月心に温められたその膨大な資料はダンボール40箱にも及んだそうである。 夏は北海道の山奥で、冬は東京で執筆を続けられた5年間、それは<戦記を綴りながら、現実は自分との戦いであった。>と宮尾先生は語る。知られざる壮絶な女流作家のもう一つのドラマを観る思いがした。 兜の天辺は 吹き返しが大きく立ち上がっていることもこの時代の特徴で、弓矢を避けためであったという。 戦闘が鉄砲中心になると吹き返しは装飾的になり、伊達政宗の時代の兜には吹き返しは見られなくなる。 義経の鎧兜は愛媛県の大山祇神社に保存されている国宝『 水引製作でもなければ見過ごしていたであろう鎧兜も歴史を知れば知るほど興味が尽きない。(NO.78へ続く)
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