迷いの窓NO.75
介護の部屋12
2005.8.15
  大正、昭和、平成という時代をたくましく生き抜いてきた叔母。
身体の丈夫な人は歯が丈夫と言うが、叔母はこれまでの人生で歯の痛みをほとんど知らない人だった。ところが、昨年心不全のために救急車で運ばれた頃から、ご自慢の歯はいっぺんに悪くなった。
さらに一年後、昨年抜歯したところが痛み出して、レントゲンで骨が残っていることが判明。
高齢者の場合は骨がもろくなっているために抜歯の際に崩れた骨片が歯肉に入り込み、時を経てから骨膜炎のような症状を起こすことも珍しくないそうだ。

  ある夕食時のこと、痛くて噛めなくなり、ブリッジをすることもできないという。
そうこうするうちに、次々と歯が2本、3本と歯根だけ残して折れていった。
ブリッジを支えていた歯も無残に折れ、下の歯はとうとう4本しかなくなってしまった。
叔母は心臓疾患があるため、一般の歯科医院では抜歯できない。
かかりつけの歯科医の計らいで循環器内科を受診している大病院の口腔外科で一日入院して手術が行われることになった。モニターをつけて心拍数や血圧を測りながらの抜歯である。
もちろん体調がよいという条件付き。手術の日程が決まってから折れてしまった歯もあり、中に埋もれている骨を取り除く手術とぐらぐらしている歯を1本、歯根を6本、計8本の抜歯という大掛かりなことになってしまった。
一気に行うのは身体への負担を少なくするというメリットはあるが、8本というのはさすがに多すぎるような気がした。
呼吸状態が悪くなるので強い麻酔は使えない。
手術の間だけ朦朧とさせる薬を点滴で投与するという説明であった。
私はまた以前のように「譫妄(せんもう)」が起きるのでは?それを契機に認知症が進みはしないかと恐れ、先生に確認をとった。「一時的に健忘が起きる程度です。手術中のことはおそらく覚えていないでしょう。」との答えにひとまず安心したが、心の奥底の漠然とした不安は消せなかった。

  こうして手術の準備が進められる中、あろうことか一週間前に私の風邪が移ってしまい、手術が危ぶまれた。介護者としては失格である。
この機会を逃がせば手術は一ヶ月延期されることになる。
叔母は過去に胃癌の手術をしており、このまま噛めない状態でひと月過せば、今度は胃腸への負担が心配だ。噛めないことで食欲が落ちたりしたらすぐさま体力低下にもつながってしまう。

  風邪は小康状態になり、循環器内科の担当医からも許可が下りて、予定通り手術が行われることになった。
付き添いの必要はないと言われた一日入院だが、入院となればそれなりに心配なこともある。
入院の際には神経質な叔母のためにできるだけ個室を希望し、部屋に備えていなければトイレが近いところ、無理ならナースステーション近くの部屋をお願いすることにしている。
以前、夜中に一人でトイレに行こうとして転び、怪我をしたことがあったから。
ベッドに柵をつけてもらうことも忘れてはいけない。
若い人でも枕が変わると、目覚めた時に一瞬自分がどこにいるか分からないという経験をお持ちではないだろうか?
高齢者は急激な環境の変化に順応できないところがある。
誤ってベッドから落ちたり、転んで骨折なんてことになったら取り返しがつかない。
今の大病院にはそこまでのケアを望めないのが実情だ。
予め自己防衛策を講じておく必要があると私は考えている。
入れ替わり看護師さんが部屋を訪れる度に「夜中にトイレに行きたくなったら看護婦さんに連れていってもらおうね。」と繰り返した。もちろん「そうですよ。危ないですから。私たちも呼んでもらった方が助かります。」と返してくれる。
ここまでやっても翌日、「昨日トイレに起きたの?」という私の問いかけに、叔母はにこにこして「ちゃんと一人で行って来たよ。」と答えることは目に見えているのだが・・・。

  午前10時に入院。午後2時半に外来と同じ場所で手術が始まった。
その一箇所に個室のようなスペースがあり、そこが叔母の指定席だった。
付き添いが入れるように椅子が用意されているので、家族が傍にいることで幾分安心感があるようだ。
担当して下さる先生は道内でも口腔外科医として名の知れた方。
50代の後半と思われるが、とにかく物言いが優しく穏やかである。
よく高齢者に付き添って行くと、当の本人より付き添いにばかり話しかける先生が多い。
すると患者は「もう分からなくなっていると思っているのかしら?」と強い不快感を抱くことになるのだ。
先生は患者本人にも付き添いにもそれぞれに行き届いた説明をして下さる。
叔母はすっかり先生を信頼しきっている。無理強いもされないし、体調への気遣いも万全だ。
私も手術前にこの部屋に入り、もう一度手術についての説明を受け、最後に先生が「私に下駄を預けていただけますか?」と叔母に語りかけると、「ここまで来たのですから、よろしくお願いします。」と答えていよいよ手術の準備に入った。
点滴が始まると通常の治療とは異なり、待合室で待つように言われたので、「リラックスよ!頑張ってね。」と勇気づけて部屋を出た。1時間の予定であった。(NO.76に続く
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