迷いの窓NO.73
月の神秘
2005.7.31
  人は月と共に生きてきた。
「潮の満ち干」が月の引力によるもであることは今でこそ知られているが、昔から人は満ち潮の時に生まれ、引き潮の時に亡くなるものであることを知っていた。
そして月の満ち欠けを見て、農耕の時期や漁のタイミングを計ってきたのだ。
お祭りが15日に集中しているのは、満月の夜が明るいことと同時に、気分が高揚しエネルギーが高まることと大いに関係があるようだ。
満月の夜にサンゴが一斉に産卵する美しい海中の一大ページェントをテレビで観た時には感動というより衝撃に近かった。
女性ならずとも人間は体内に月の周期を感じながら生活してきたと言える。
人類が月に到達し、スペースシャトルが宇宙へのさらなる開発の夢を実現する時代になっても、人は月にロマンを抱き、歌に詠み、文学や芸術に表現し、今なお夢を見つづける。
人知では測り知れない神秘があることを信じているからだ。

  月が人体に及ぼす影響を解明しようとする人たちもいる。
満月の夜には人は狂気に走り、満月や新月の前後には事故や犯罪が多いことなど沢山の事例が列挙されているが、科学的根拠に乏しく立証には至っていない。
ごく最近では、冬の新月の夜に伐採した木で家を建てると10倍長持ちすること、楽器のホルンやバイオリンをこの木で作ると最高の音を生むという話を聞いて、その不思議さに驚いている。
樹木の細胞のデンプンと水分量が満月には多く、新月には極端に少ないそうで、乾燥させると割れ難く、カビや虫がつきにくく、火事にも強いそうである。
このような研究が進んで、シックハウス症候群で苦しむ人がいなくなり、名器で音楽を楽しむことができるなら大歓迎である。

  世界には月に関する様々な言い伝えがある。
日本では「月の光で寝ると頭がおかしくなる。」と言うそうだが、私はかつて満月の光を浴びながら眠ったことがあり、とても心地良かったのを覚えている。
意識しているわけではないが、たとえ望(満月)と朔(新月)だけを記したカレンダーでも月齢を知る手がかりがないと落ち着かないし、月に誘われるように自然に満月を見ることも多く、身体にみなぎってくる不思議な力を感じて思わず、「パワー〜!!」と叫びたくなる。
あっ、変身はしないのでご安心を!

  弓道を始めてから、ますます月は私に身近なものになった。
上弦の月、下弦の月(半月)は弓を張ったように見えることから、「弓張月」という名称がある。
弓の世界では普通28m先にある36cmの的を月に喩える。
物見(的を見ること)をして行射に入り、的付けをする(的に照準を合わせる)時、的が弓の陰に見え隠れる様子を月の満ち欠けで呼ぶ。
両眼で的がすべて見える状態を「満月」、全く見えなくなることを「闇夜」、半分隠れるのを「半月」、矢が離れた直後は「残心」という境地に入り、その時には「金体白色西半月」と伝書にある。黄昏に白く輝く明星、西に半月を見るように悠然とした様であると・・・。
また、体配(所作)や構えは円相を心掛けなければならない。
「月に見立てた的が一つ入るほど、また可愛い幼児を抱くように、大切な預かり物を抱えるように」とも表現される。
つまりこの『窓』のように四角い窓ではなく、常に迷いのない悟りの境地でなければならない。

  悟りと言えば、前述の『癒しの扉』に「満月」という詩が引用され、お釈迦様が本当に伝えたかったことがわかりやすく解説されていた。
<大空に輝く月光が部屋に一杯に満ちた時、最も身近な自我によって知覚を覆われているために、そこに満ちている無数の美や喜びに気がつかなかったことを悟った。>というものだ。
情報化社会によって我々は瞬時に膨大な知識を得ることができるが、そのために何と多くのものに知覚が覆われていることであろう。
宇宙についての仏陀の教え=真理とは、実はいたってシンプルなのもである。
然るにシンプルなものほど辿り着くのは難しい。

  今、スペースシャトル「ディスカバリー」が船外活動を行っている様子が伝えられている。
クリアーな映像を目の当たりにしても、どこかで「金烏玉兎」を信じていたい気持ちがする。
「夏は夜  月の頃はさらなり」枕草子に描かれた時代そのままに、夏の夜空は四季のうちでも殊更私たちの想像力と浪漫を呼び覚ましてくれる。
あの天空の月を先祖も様々な思いで見上げ、名前を付け、祈りを捧げてきたのであろう。
人はみな幸福になるために生まれてきた。
自分は宇宙でかけがいのない存在であり、自身の命の中にも小宇宙がある。
そのことに気がついた時、人は宇宙のすべてのものに“愛”を感じることができるのかもしれない。
「月のパワーをいただいて、自然のリズムを取り戻す」
今こそ知覚を曇らせているベールを脱ぎ捨て、あの宇宙に帰ろう。
本来の自分を取り戻し、もっと人間らしく生きるために・・・。

  月夜でもないのに・・・
一瞬、凡夫の「迷い」という心の闇にまばゆい月輪の輝きを見たような気がした。



〜追記〜
この『窓』を草稿中、日本トータライフ協会のコラム『有為転変』を訪問すると、<誤解>というタイトルでお盆のことが書かれていた。
新暦、旧暦が混同されて、7月のお盆を「新盆」、8月のお盆を「旧盆」と呼ばれることがあるそうだ。
それ以上に驚いたことがある。
「盂蘭盆」を音だけで「裏盆」と誤解して「表盆」があると思っている人がいること。
「盂蘭盆会」は梵語で「ウランバナ」(さかさ吊り)の音写。「盂蘭盆経」に説かれる供養伝説がもとになっている。中国から伝来した行事で倒懸(さかさ吊り)の苦を受ける死者のために供養したのが始まり。後に先祖供養の行事となる。
日本では祖霊を迎えて共食するという古からの信仰が習合し、さらに「薮入り」の習慣からお正月行事と類似を見せていることを加筆しておこう。
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