迷いの窓NO.65
春告魚
2005.5.27
  大正初期になると、江差ではもはや群来(くき)が見られなくなっていた。
漁師達は「迷ったんだべ〜。」と翌年も明くる年もまた次の年もニシンが来るのを待っていた。
いくら待ってもニシンは戻ってこない。
もともと気まぐれなところのある好不漁が予測しにくい魚である。
地球温暖化で水温が上昇したことも要因の一つと見られている。
現在、北海道ではニシンに限らず「栽培漁業」への取り組みが積極的に行われ、ニシン復活プロジェクトが昭和58年に始動。
採取した親魚から種苗を生産し、放流を行っている。
春ニシン(北海道・サハリン系群)は1歳で体長15cm、5歳までに30cmに成長し、4歳で半数が産卵するようになるという。

  私は例えばカレイの煮付けも子が入っていないと嫌というほど魚卵食いである。
イクラやブリコと呼ばれるハタハタの子、たらこ、カニの内子・外子等々、あらゆる“子持ち○○”とつくものを好んで食べる。
もしかしたら、この殺生故に人の子の親となる機会が与えられなかったのではないかと思うことさえある。
「かおり数の子ニシンの子」と口ずさんでみる。
江差で生まれた数の子はニシンになったが、卵を産まない。伝達すべき次の命がない。
<これでよかったのか?>と自問していた時、梅原猛先生の次のような言葉に出会った。
「子供を持たなくても、精神的にこの世に影響を与えれば、遺伝子は残っていると言える。」

  江差に関するホームページを訪問するうち、先祖の石碑があったことを思い出して「江差の石碑めぐり」というところをクリックしてみた。流石に歴史ある土地柄だけあって、石碑も多い。
その中に父方と母方の先祖にあたる人の名前を見つけた。
石碑NO.25『江口英通翁記念碑』(消防組初代組頭)とNO.20〜22『松澤伊八翁記念碑』(海難事故の際、私財を投げ打って遭難遺族を救済した大商人)とある。
どちらも私にとっては幼い頃から見覚えのある石碑だが、HPで見るのは初めてであった。
改めて立派な業績に目を通すと、自分のルーツを突きつけられたようで<ご先祖様に恥じぬように生きねばならぬ。>と姿勢を正された思いがした。

  世の中に影響を与えるなどと大それたことはできるはずもない。
私にできることは?と考えてみると、こうして「書く」ことによって何かを発信し続けることだけだ。
「書く」とは何か?何を書くのか?
展覧会を紹介する新聞記事欄に、作家ジャン・コクトーの「存在困難」の中の一節が引用されていた。
「書くことは愛の行為である。そうでなければ文字の羅列に過ぎない。それは草や樹木のメカニズムにしたがって、周囲に遠く精液を放出することだ。(中略)表現手段が多岐にわたっているのは私の種が少しでも多くの場所に飛んでいくようにするためである。」
いかにも芸術家らしい表現である。

  ふと、私の使命は海に種を放出することかもしれないと思った。
今まで食べた魚卵の数だけ?と考えたら気が遠くなった。
気付け薬に一杯!
偶然だが、北海道で私のお気に入りの日本酒の銘柄は、北の誉酒造の純米大吟醸酒「鰊御殿」。同じ酒造会社の純米酒に「群来」もある。

  ニシンの栽培漁業も長い年月をかければまた幻の「群来」を呼ぶこともできる。
「書くことは栽培漁業と同じ。」  景気付けにもう一杯!
故郷の海に銀色に輝く幻を見ながら、ヤン衆たちの力強いソーラン節を聞いたような気がした。
遠くで母の「数の子の唄」も聞こえる・・・。


※春告魚[はるつげうお]は地方によって異なる。
   北海道では「春ニシン」のことだが、東日本では「メバル」、瀬戸内海では「イカナゴ」。
   もちろん鰆(さわら)も春告魚である。


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