![]() 春告魚 2005.5.26 |
「江差の五月は江戸にもない」と往時の繁栄振りを謳われた北海道桧山郡江差町に私は生まれた。 今は道路が整備されて函館から車で1時間半の距離だが、幼い頃は函館駅から普通列車で2時間半余りかかった。 4両編成の列車が木古内駅で松前線と切り離され、2両になってさらに車両はゆっくりと日本海へ向かう。 群青色の深い海の色が視界に入ってきて、その上にカモメが翼を広げたような形の鴎島が見えると、まもなく終着駅「江差」である。 駅が近づくと尺八の音色にのせて哀愁漂う耳慣れた江差追分が聞こえてくる。 私はここで2歳まで過し、それから父の転勤で札幌に移り住んだ。 蝦夷地の中でも、江差は北海道文化の発祥の地と言われる歴史のある土地である。 松前藩政期、北前船の通う日本海航路の主要な港として、ニシンやヒノキ材の交易で栄華を極めた。 ニシンは「鰊」とも、また「鯡」とも書く。魚であって魚に非ず。 このことからも判るように、ニシンは米と同じように高価に取引される貴重な財源であった。 米のとれなかった松前藩が石高を与えられていたのはこのためである。 ニシンは別名「春告魚」。かつて5月にはニシンが産卵のため大群で浜に押し寄せてきた。 そのために海が白く濁り、ニシンの背が海面に銀色の姿を躍らせる。 その現象を群来(くき)と呼ぶのである。 ニシン漁で湧きかえり、巨万の富を得た豪商は江戸や上方、とりわけ京都の華やかな文化を江差に持ち込んだ。豪奢な陶磁器や調度品、呉服などが北前船でやってきた。 ニシンや昆布が大阪や京都で加工され、やがて「塩昆布」や「にしんそば」などの食文化が創造されたのである。 その繁栄振りは、今も鰊御殿や数々の伝承文化の中に面影を留めている。 京都から輿入れした人もあり、新たな血脈も形成されたことだろうが、私が京都で学ぶことになった時、これも因縁だと言った人があって驚いたことがある。 ニシン伝説が伝わる「姥神大神宮」は江差の人の篤い信仰を集めている。 毎年8月上旬の3日間繰り広げられる、北海道で最大の熱き祭りが「姥神大神宮渡御祭」。 人口1万人の町がこの3日間だけは6万人に膨れ上がるのだから凄まじい! 舟形をした松宝丸を除く12台の山車には等身大の人形が祀られる。 最古のものは 山車の側面と後方を飾る水引幕も同時代に京都で作られた絢爛豪華なものが多く、祇園祭を彷彿とさせる。 お盆に帰らなくてもお祭りに帰省するというのが、江差人の常識なのである。 繁栄をもたらしたのは富ばかりではなく、マンパワーもある。 ニシン漁は30人単位でチームを組む建網漁のため、ヤン衆と呼ばれる沢山の働き手が必要になった。 しかも、一度群来ると2日も3日も眠らずに漁を続けなければならなかった。 眠気覚ましと漁の士気を上げるために生まれた労働歌が、日本人なら誰でも知っている「ヤーレン、ソーラン」という歌詞の「ソーラン節」なのである。 北海道では年々「よさこいソーラン祭り」が盛り上がりを見せているが、今では祭りの曲として使われ、老いも若きも「よさこい」に熱いエネルギーをほとばしらせている。 ソーラン節と同様に有名なのが「江差追分」で、もともとは信濃地方の馬子歌だったものが海を渡り、追分節と言えば江差追分、民謡の道は江差追分に始まり、江差追分に終わると言われるほどになった。 それほどまでに人々の労働や生活に密着し、人生を謳い上げるように日本人の心の奥底に共鳴する哀歓のメロディーなのである。 しかし、「三下がり」「二上がり」など難しい節なので容易に歌うことは叶わない。 そこがまた愛好者にはえも言われぬ魅力かもしれぬが・・・。 昭和28年戦後最大の大漁を境に北海道の海からニシンがいなくなった。 私が生まれた頃にはもうニシンは来なくなっていたのだ。 しかし、小さい頃から母が子守唄のように歌ってくれたフレーズは今も忘れられない。 私の名前は数の子の“か”が頭につくので今から思うと語呂合わせだったかもしれないが、「かおり数の子ニシンの子」と面白い節をつけてよく歌ってくれた。 その母も幼少の頃は江差で育ち、今ではここでも捕れなくなってしまった鮑(アワビ)をおしゃぶりにしていたというから驚く。 江差はアイヌ語で「エサシ」昆布と言う意味。 良質の昆布が鮑やウニを育む豊かな海だったことが容易に想像できる。 母の唄を聞いた当時は数の子も高価なものになっていたので、きっと「まされる宝 子にしかめやも」という気持ちで私を慈しんで歌ってくれたのだろうと、長じてから母の深い愛情に気がついた。 だから、数の子がニシンの子というのは私の中で常識だった。 ところが、ごく最近のこと、テレビのクイズ番組で「数の子の親は?」という問題が出された。 <こんなのクイズになるの?>と思って観ていたら、回答者は著名なタレントだったが、4択に首を傾げている。他に鮭とかスケトウダラとかいう親が入っていたと思う。 「ファイナルアンサー?」という司会者の声が響いて、見事にハズされた時には愕然としてしまった。 数の子は子孫繁栄の象徴として日本のお正月には欠かせないもの。 「親がニシン(=妊娠)で子沢山」という縁起をかついだものだと言われているのに・・・。 ニシンが捕れなくなり、数の子が入った親を見たことがないのだから、無理からぬことかもしれない。 (NO65に続く) |
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