迷いの窓NO.63
介護の部屋10
2005.5.5
  今年の連休の前半は、札幌の親友が12歳の娘さんと二人で函館へ遊びに来ることになった。
叔母と母娘は初対面だったが、お食事と函館山観光をご一緒した。
夜景が大好きな叔母は長い間登る機会がなかったので、楽しみにしていたのだった。
もともと足腰は丈夫で今も杖はついていない。
心臓を患ってからは、さすがに外出の際には私につかまり、長歩きに不安を訴えるようになっていた。

夜の函館山へはマイカー規制があるため、観光バスかタクシー、ロープ―ウェイのいずれかで登ることになる。階段の上り下りさえ心配なければ、ロープーウェイが最短コースなのだ。
函館山から見下ろす夜景は飽きることがない。
何度訪れても新しい宝石箱を覗き込むように魅了されてしまう。
さて、案ずるより生むがやすしで、叔母は自分の足で階段を上り、しかも翌日“足のつり”もなかったことですっかり自信を取り戻したようだ。
子供に接することのほとんどない叔母にとって、若いパワーも大いに刺激になったに違いない。
12歳の少女というのは不思議だ。子供らしい無邪気な笑顔を見せたかと思うと、大人顔負けのことを言ってのける。
口数の少ないお嬢さんと叔母とはそれほど会話を交わしているようには見受けられなかったが、後に友人が語るには「お婆ちゃん、若くてきれいで前向きだよね。」と話していたというので驚いた。
どうやら、歳を取ったら「前向き」という言葉が余生を楽しむためのキーワードになるようだ。
共有した函館山の夜景は、どんな宝石よりも光り輝く思い出に変わった。

  1年目と同じく今年も5月3日に、お堀を囲んで1600本の桜が咲く五稜郭公園へお花見に出掛けた。
ソメイヨシノは満開まであと2〜3日というところ。
エゾヤマザクラも蕾を薄紅色に膨らませて今にも開花しそうであった。

  日本人はいにしえから桜の開花を待ち遠しく思い、散る桜にはらはらさせられ、水面を渡る花筏に名残を惜しみながら、和歌に俳句に絵画に思いを託してきた。
異常気象も伝えられているが、<花が咲く頃、虫が鳴く時節、そこに多少のズレがあってもほとんどたがわない。この自然こそ立派であり、自然をお手本とする生活を目指すのが善の修行。>とは、昨年6月NHKスペシャル「永平寺104歳の禅師」の中で、曹洞宗管長 大本山永平寺貫首、宮崎奕保禅師が発せられたお言葉である。
いったい、人は人生に何度桜を愛でることができるのであろう?
我々が一生を過してもなお、桜は100年後の世も毎年咲きつづける。

  ある染織作家のお話の中に興味深いものがあった。
桜色は桜の木からとれば、いい色がとれるという。
しかし、それは花ではなく、桜の木のごつごつした皮からとるという。
しかも採取する時期は、花の咲く直前に限られるというのである。
花からは灰色しかとれないそうだ。

<もの事には幹があって根っこがあって、葉があって枝があって、最後に花が咲くというのが全てのものの真実。色素がどんどんてっぺんへ向かって送られていき、全部自分を使い果たさなければ花にならない。すなわち我々が愛でているあの美しい桜色は、実は色素の旅路の果ての色だという。目で見ることはできないが、桜の美しさというものは花だけでなく根っこにも木の幹にも枝にも皮にもたっぷり含まれている。>(大岡信著『名句歌ごよみ〔恋〕』角川文庫:「人のみどり 自然の緑」より)
人間も同じ。「自然をお手本とする」と言われた前述の宮崎奕保禅師のお言葉が初めて理解できたような気がした。

  仏には桜の花をたてまつれ  わが後の世を人とぶらはば
桜をこよなく愛しんだ西行法師のお歌の中で、私が最も好きな歌である。

  これからの人生、自分を使い果たして潔く散る桜のようにありたいものだ。
そして自然に逆らわず、今日大切な人と共に在ることに感謝しよう!
桜の木の下で、ただ自然(じねんに・・・。

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