迷いの窓NO.62
介護の部屋9
2005.5.4
  函館で見る桜も3年目を迎えた。
ここへ来た当初は「介護」と呼ぶには程遠い暮らしであった。
互いに異なる地で一人暮らしをしていた私と叔母が寄り添うように送る楽しい共同生活。
1年目、叔母と二人で五稜郭公園の満開の桜の下を歩いた。
            その頃、私にはまだ“働ける”という希望があった。
2年目、叔母は心不全のため救急車で運ばれるも、<まだ早い>とあの世から追い返され、
            病院のベッドの上にいた。
3年目、今年も互いに元気な姿で桜の下を颯爽と歩けたことを幸せに思う。

  叔母は新聞が大好きである。
朝の食卓の片付けが終わると、午前中いっぱいかけて新聞を読むのが日課なのだ。
それが、お昼過ぎになるとハタと気がついたように、「今朝新聞読んだかしら?」と確認するように新聞を手にする。「あら、読んでないわ。私、朝から何をしていたのかしら?」という。
つまり、読んだことを忘れているのである。
夕刊が配達されるのは3時頃だ。「もう夕刊きたわ。」と朝刊を読み終わったら、今度は夕刊を読み始める。結局、一日中新聞を読んでいる計算になる。
認知症は確実に進んでいる。

  先日来、私をフリーズさせることを口走るようになった。
「私どうしても解らないんだよね。あんたとこうしているっていうのが理解できないの。自分が自分でなくなっていくみたい。さまよっているって感じ。ここが自分の家という実感もない。頭がおかしくなっちゃったのかしら?頭の中がもやもやしているし、なんだか胸の中がざわざわしてさっぱり落ち着かないのよね。本当にあずましくないね。こんなだらしのない私でなかったのに・・・。」
瞬間「徘徊」なんて二文字が私の頭の中をぐるぐるした。
その鳴門の渦潮のような頭の中で「自分の家へ帰るなんて言われたらどうしよう?」と、まるで海の底に引きずり込まれるような悪夢にぞっとした。
「自分の建てた家、小さいながらも思い出のいっぱい詰まったこの家が大好きな叔母に限って、そんなことはない。」と懸命に打ち消した。

  テレビを観る集中力も失われているようだが、ニュースとプロ野球、「水戸黄門」の再放送だけは必ず観ている。
巨人贔屓の北海道のこと。それにしても巨人の選手の名前をフルネームで覚えていて、一々コメントを出すのには舌を巻いてしまう。
もっとも、このところチームに勢いがないのでご立腹のようだが・・・。
私はどこのチームを応援しているというのではないが、関西に住んでいたせいか阪神・巨人戦になると密かに阪神を応援してしまう。
金本選手がホームランというような場面では、知らず知らず「よっしゃ!」と声を出しているらしい。すかさず、「あんたどっちの味方?」と鋭く突っ込まれてしまう。
この時ばかりは「おばちゃんは絶対認知症なんかじゃないよ!」と心の中で叫んでいる。

  NHKのアナウンサーをまるで知己の人みたいに、誰それは結婚して子供さんが何人いるだの、この人は札幌から転勤してきただの、帰国子女だから流石だの、「えっ、知ってる人?親戚だったっけ?」と思わず口を突いて出るぐらい、どこで入手するのか驚くほどの個人情報を把握しているのはスゴイ!
きっとそういうお年寄りは全国に多いのだろう。
そして真面目に受信料を長い年月納めてきたというのに、今頃は裏切られたと憤慨しているに違いない。さすがの叔母もNHK予算審議の時は、国会中継を観ながら怒っていた。
何しろ几帳面な性格の叔母だから、政治家や警察の不祥事や不甲斐なさに「こんなだらしないの大嫌い。総理は好きなようにして、本当にチャランポランだよ。」叔母は表現力が豊かである。
本人は真剣そのものなのだが、あまりの当意即妙な言い回しにいつも笑わされてしまう。
裏切られたという思いがあっても、「会社が悪いんだよ。この人は悪くないんだよ。」と、お気に入りのアナウンサーが出ると、テレビに向かって喋っていたような気がする。
こんな視聴者もいるのだから、関係者にはしっかりしていただきたいと思う。

  毎日心が沈んでいくニュースが多い。
新聞好きの叔母の老人性うつ症状も進んでしまいそうなほどである。
そんなある日、「これ見てごらん。」と久々に叔母をお腹の底から笑わせるような記事が載った。
札幌の特別養護老人ホームに入所している89歳の女性が、米寿を記念してエッセイ集を自費出版したというのである。
その名も『書きますわよババアの恥じっか記』タイトルを見ただけで笑ってしまう。
お着物を上品に着こなし、原稿用紙に向かう素敵な写真も掲載されていた。
若いときからのご病気で胸から下がご不自由のようだが、そんなご苦労は微塵も感じさせない。
とかく特別養護老人ホームでの虐待という悲しいニュースが報じられることの多い昨今、そんな明るい話題を聞くだけでも幸せな気持ちになるし、特養という環境の下で自分より年上の人が前向きに、ユーモアで人を笑わせ、人生を楽しんで生きている姿は、どんな言葉より高齢者への励ましになることは確かである。
「偉いね。立派だね。私もこうしていられないよ。」と感想を述べていた。
500部を印刷して1冊800円で分けていただけるというので早速申し込んでいる。
お腹を抱えての泣き笑いになることだろう。NO.63へ続く

迷いの窓トップへ メールへ