迷いの窓NO.61
微妙(みみょう)の声(後編)
2005.4.29
  鳥の鳴き声には地鳴きとさえずりがある。
鳥は雛として産まれる前から親と交信し、まず親鳥を声で覚えるのだという。
離れている親子が互いを判断するのもやはり声である。
人間が美しいと感じる鳥のさえずり。
鳥が最も囀るのはテリトリーを確保し、雌に求愛する時である。

鳥の求愛行動は、丹頂鶴の鳴き合いや求愛ダンス、コウノトリの嘴をカタカタと打ち鳴らすクラッタリング等が知られている。トキの求愛は枝渡しと毛づくろい、雌に雄姿を見せたり、美しさで惹きつける鳥、餌や巣を捧げる鳥と求愛行動は様々である。
孔雀の雌が雄を選ぶ条件は、あの「飾り羽の目玉模様の美しさだ」と神話のように信じられてきたが、実は「ケオーン」「カーン」という鳴き声が5音節以上連続して鳴くオスほど交尾に成功しており、男性ホルモンのテストステロン濃度が高かったというのである。(2004年10月19日毎日新聞サイエンス記事より)

  声で熱烈なラブコールを贈る鳥に、ジュウシマツがいる。
千葉大学文学部助教授岡ノ谷氏の研究によると、インドのコシジロキンパラを始祖とするジュウシマツには、音の要素(音素)が8つほどあると言う。(音素=音の高低と強弱の組み合わせ)
ペットになって天敵を気にすることのなくなったジュウシマツは、より複雑な歌を好む雌のために、途中何度も前の音素に戻りながら自由に歌うことができるようになった。
歌唱力を磨き、その能力を高めてきたのだ。
人も人に飼われるジュウシマツにも天敵がいない。
人間の赤ちゃんが大きな産声をあげるのも天敵がいないからである。

  鳥の声も人間の言語や歌もコミュニケーションの手段である。
鳥がお浄土で美しい声で囀り、悟りに導くのも、そこは平和な仏国土だからであろう。
捕食される心配がない、つまり平和な世の中では、人は大きな産声をあげ、生後5週間を過ぎる頃意志伝達の手段として泣き声を変え、やがて言語を獲得してゆく。
人間の言語能力も安定した生活と共に進化を遂げてきた。
将来も無限大の可能性があることは疑いの余地がない。
これほど高度な意思伝達手段を有しながら、毎日コミュニケーション不足と思えるような事件が繰り返される。
「ムカツク、ウザイ」という一言で簡単に人や親さえ傷つけてしまう。
奈良女児殺害事件のような幼児性愛者による犯罪も多発している。
最近ではアニメやゲームの美少女キャラクターに思いを寄せる「萌え」という新語の社会現象まで見られるという。一体これはどうしたことだろう?
そのうちまともな求愛行動さえ忘れられてしまうのではないのか!
人類に迫り来る危機感さえ覚える。

  古今東西を見渡してみても、鳥と人間には密接な関係がある。
鳥は死者の魂を運ぶと信じられ、世界にはチベットのように未だに鳥葬が行われているところもある。
南米にあるナスカの地上絵にも巨大な「鳥」が描かれ、地上から全容を見ることの出来ない絵がどうやって描かれたかは今もって謎である。
空を自由に飛べる鳥は古来から人間に夢やロマンを抱かせ、神の如く崇められたり、この世とあの世を行き来する特別な存在だったのかもしれない。

  春は多くの鳥が愛をハミングする季節である。
美しい音色と複雑な旋律をもったさえずりは、人の心を惹きつけずにはおかない。
何故だろう?それは、鳥の声が、種の保存を促す「微妙(みみょう)の声」であるからかもしれない。
その時、我々の中に眠っている遠い祖先の記憶が呼び覚まされるのではあるまいか?!

  世の中はあまりにも雑音に満ち満ちている。
鳥のように大空へ、宇宙へ心を解き放ってみよう。
都会の喧騒や日常の雑音から逃れ、鳥のさえずりや風の音に耳を澄ませば、自然に回帰する力を必ずや人間も取り戻すことが出来るに違いない。
それこそが音を観ずること、「悟り」にほかならないと私は信じている。

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