迷いの窓NO.50
聖夜2004
2004.12.24
  雪のなかった函館も2、3日前から降り続いた雪で一面の銀世界となり、期待通りのクリスマスイブ(降誕前夜祭)となった。
こうして12月1日から始まったXmasファンタジーもいよいよクライマックスを迎える。
異国情緒あふれる函館は歴史のある教会が多く存在する街でもある。
ロシア風ビザンチン様式で知られるギリシャ正教のハリストス正教会、優美な姿の元町カトリック教会、近代的なフォルムのヨハネ教会(聖公会)など、観光スポットにも数えられる教会群はライトアップされて夜景の街を彩る。
今や函館の冬の風物詩として有名になった、函館ベイに浮かび上がる巨大Xmasツリー(全長18メートル)は、姉妹都市であるカナダのハリファックス市から18,000キロの船旅をして贈られるもみの木にイルミネーションを施したものである。
色調は毎年異なるが、今年のツリーはグリーンやブルーに色を変えた。
100万ドルの夜景が宝石のように一層輝きを増すのが、この季節なのである。

  一年中で一番キラキラするといえば、ベルギーから届いた一通のメールにも同様のことが書かれていた。
言語学をご専門とされ、翻訳や通訳のお仕事でご活躍される日本人女性からである。
この『空飛ぶ水冠』のご縁で、遥かな国から時折メールを頂戴するようになったことを、私は我が身の幸せと思っている。
ベルギーでは人口の70%以上が敬虔なカトリック教徒であると聞く。
返信を認めるうちに、私はふと倉敷の大原美術館で観た一枚の絵画のことを思い出していた。
ベルギーの画家レオン・フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」を目の当たりにした時の感動がまさに蘇ってきたのである。
宗教画というものは洋の東西を問わず荘重な気持ちを抱かせるものであるが、特にキリスト教を題材に取ったものは、信仰を持たなくても賛美歌がすう―と心に染み入るような、教会のステンドグラスから一筋の光を見出したような、一種の感じがある。
初期ベルギー(フランドル)絵画には聖書や諸聖人の逸話を描いたものが多く、フランドル地方の古都ブリュージュでは14〜15世紀そのままの風景に出合えるという。

  メールには異国の地の興味深いお話が満載されている。
グランプラス(街中の大広場)には北欧から運ばれてきた大きなツリーが飾られ、賑やかなクリスマスマーケットではプレゼントを買い求める人が行き交う。
ライトアップされた街の野外スケートリンクに子供達やカップルの声が木霊する。
教会の中だけでなく、街角のあちこちでキリストが生まれたとされる“クレーシュ”という小屋がつくられ、大人は子供にキリストの生誕の様子を語って聞かせる。
文面から、そんな光景を鮮やかに瞼に浮かべることができる。

  ベルギーの子供達は、12月6日にもプレゼントをもらえるという。
この日は、子供、結婚前の若い女性、商人、質屋、薬剤師、ロシアの守護聖人である聖ニコラウスの祝日で、彼はサンタクロースのモデルとも言われている。
ベルギーの他オーストリア、オランダ、スイスの国等で、今でもこの祝日には子供達にプレゼントする習慣があるそうだ。
カトリックでは11月1日を諸聖人の日として祝うが、絵画にも描かれた長い歴史の中で、いかにも諸聖人を大切にしてこられたお国柄が偲ばれる。

  キリスト教徒にとってクリスマスはキリストの誕生を祝う日であるとともに、家族と過す大切な時間でもある。
ベルギーでは、25日の夜は決して他人を入れない「家族だけの団欒」を厳格に守っている家も多いという。

  また、先頃の新聞記事にアメリカにおけるクリスマスプレゼントの習慣のことが載っていた。
恋人や家族へのプレゼントは言うまでもないが、クリスマスの直前にマンションの管理人さん、掃除の人、新聞や郵便の配達人といった日頃お世話になっている人に、簡単な贈り物をする習慣が根強く存在しているのだという。
例えば郵便配達人には郵便受けにメッセージカードと共にプレゼントを封筒に入れておくそうだ。
わが国のお中元やお歳暮などの儀礼的な贈答文化に比べると、何とも微笑ましい習慣のように思える。

  さて再びベルギーのお話。生活保護者やホームレスの人達のために地区の組織がパーティーを開いてささやかなプレゼントを手渡したり、救世軍が駅のホームでスープやケーキを配布したり、音楽家がコンサートを開いたりして一人暮らしの侘しさを慰める。
そんな心温まるお話しに続いて、メールの中にあった
<クリスマスは宗教的なものというよりは貴重なけじめの出来事。どこの神様というのではなくて万能の神様が人間に与えて下さった、人間として基本的なことの再発見のチャンスかもしれない。>という内容に、私は言葉の持つ重みを噛みしめていた。
家族を大切にすること、暮らしを支える身近な人に気配りすること、家族のない他者を思いやること。
遠く離れた憧れの国に思いを馳せながら、クリスマスを通じて大切なことを教えて下さった素敵な方に感謝せずにはいられない。

  クリスマスに先立つ4週間を「待降節(アドヴェント)」と呼び、信者は緑の葉で作ったリースに4本の蝋燭を立てて、日曜日ごとに一本づつ灯りをともしながら降誕祭が近づくのを実感していくそうである。

雪景色の街角にはポインセチアの赤い色が、まるで家々や教会にともる蝋燭の灯りのように、暖かにそして一層鮮やかに目に映る。
今年は戦争やテロ、台風、地震など“災い”多き年であった。
ポインセチアの花言葉「聖なる願い」に世界の平和と人類の幸福を託したい気持ちは、世界中の心ある人なら誰しもが抱く共通の願いであろう。

  2004年聖夜、教会の鐘が祈りよ届けとばかりに星の瞬く天空にその音色を鳴り響かせる。
迷いの窓トップへ メールへ