迷いの窓NO.5
気付き月
2003.9.13
宇賀浦から望む立待岬
今夜は、北海道に台風が近づいている。

今年の日本列島は北から南まで台風の被害が相次いだ。
これ以上大きな災害が起こらないこと、人命が失われないことを願いたい気持ちであるが、困ったことに台風が来ない年は魚が獲れないそうである。
台風は海底から海水をシャッフルして、その深遠な奥底に酸素を送りこむ役割があり、人間に大漁という恵をもたらしてくれるという。
「暦の風景」という本によると、自然の節理に人間が抗えないことに気付かせてくれる、今ごろの季節を「気付き月」と呼ぶそうである。
うららかな「秋浦」(しゅうほ)だけでは潤いが授からず、相反するものがほんの短い間手を携えているのに気付く。 「気付き月」とは何とも意味深長な言葉ではある。

風物詩暦といわれる「二十四節気」を基に、季節のつぶやきを写真と言葉で紡いだこの一冊の本を見るのが私は好きである。
そこには日本人がかつて日常的に使っていて、現在ではほとんど忘れ去れてしまっている季節に関する日本の美しい表現や色の世界が、さながら万華鏡が次々と新しい造詣を繰り広げるように散りばめられている。
これは私自身が陰陽道やその根幹を成す五行循環に興味を持っているということもあるが、実は「司式」として葬儀をとらえる世界でも重要な意味を帯びてきているように思う。

なぜなら最近趣味で短歌や俳句を嗜まれる方も多く、ご葬儀の中で御たむけと表書きされた短冊の包みを開かれて、弔句や弔歌が披講(ひこう)されるケースも珍しくないからである。
先日、久世栄三郎氏のコラム「独り言」NO542の中で「司会者泣かせ」の弔電というお話があったが、私も葬儀社在職中にそう言う場面に遭遇したことがある。
葬儀の司会を担当していた若い男性社員が、「これは何と読みますか?」と私に弔電を見せたことがあったからだ。

そこには三首の手向けの短歌がが綴られていた。
電報では歌が七五調に整列していないので、音読しないとそれと判別出来ないことがある。
弔電はお名前の読み方を確認させていただくことは茶飯事であるが、電文に関してはお聞きしにくいこともある。
残念ながらお歌のすべては覚えていないが、確か一首は「加茂の水面の花筏」という一節であったと記憶している。
教会式であったので、弔歌が礼拝堂に朗々と響き渡り、事なきを得てほっと胸をなでおろしたことは忘れがたい。
情感がこめられていたら、天にも届くかに思われたが(否、詠み人の御心は逝かれし方には届いているはずであるが)やはり司式者が情感豊かに披講できるプロの域に達するには、季節の心や和歌に対する素養も重要なこと。
そんなことを考えさせられた「こころあいの風」が吹く春の日の出来事であった。
(「こころあいの風」・・・人が互いに心を交わし、自然と寄り添うことができる優しい風)

同居している大叔母も若い時から歌を詠む。
しかし、悲しいときしか歌は生まれてこないのだと言う。
最愛の姉を偲んで詠んだ歌に、私が最も好きな短歌があるのでご披露したい。

   次の世も  はらからとして  生まれたし  優しき姉を  恋ふるこの夜も 

窓ガラスを打つ雨音が激しくなってきた。
悲しい歌を生むような経験を誰もが免れるよう、海の恵を育みながらも台風が静かに通り過ぎていくことを祈りつつ、就寝の床につくことにしよう。
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