迷いの窓NO.48
介護の部屋7
2004.12.12
  夜中に風が窓を叩けば、「誰か来たよ!」と怯えたように叔母は隣で寝ている私を起こす。
「風の音よ。」と言っても俄かに信じ難いらしく、二、三度の繰言の後、すうーと眠りに就く。
またある時は突然うなされたように大きな声を出す。
「大丈夫?悪い夢でも見たの?」と私は声をかける。
夜中にトイレに立つ気配がすると、真っ暗にしていた部屋の照明の豆電球をつけて「気をつけてね。」と足元に注意を払う。
叔母は早朝目を覚ますと、隣で寝ている私の存在を確かめて顔を覗き込んでいる。
まるで母親を探す子供のように・・・。
私と目が合うと、「いつでも起きているんだね。いつ寝ているの?」と心配そうに尋ねる。
これは私の特技?やはり前世は忍者かそれとも剣客商売を生業としたものか?
私は微かの音にも目が覚めてしまう人。
だから、過去に下宿先や一人暮らしのマンションに泊まりに来た友人は「夜中中見張られているみたい。」と気味悪がったものだ。

  家の中では介助なしに暮らしている叔母であるが、知らないうちに手足の皮膚に内出血が見られることがある。
角度によって紙のようなものが触れただけでも「こんなになっちゃった。」と手から血を滴らせていた時には一瞬驚愕した。
危険はどこに潜んでいるかわからない。救急箱は常に手に届くところに置いている。
狭い家なのに私の後を目で追いかけている叔母の視線にふと気付くことがある。
その視線は時に眩しく、時に重たい。
私はそんな叔母を愛しいと思う。
子供は持ったことがないけれど、自分の中の母性が目覚めるような気がするのだ。
今年の春、心臓を患ってから叔母は目に見えて弱ってきている。
私は時折隣で寝ている叔母の蒲団をじっと見つめて、息をしているか確かめずにいられない不安に襲われることがある。

  夜中に奇声や大きな声を発するのは高齢者にとっては珍しいことではない。
心細く不安な気持ちがそうさせるのかもしれない。
近所のクリーニング屋さんの奥さんも93歳になるお母様と同居されているが、やはり奇声で起こされることがあるという話だった。
介護する者にとって、共感できるというのは何よりの慰めである。
「大変ですね」の一言より、「うちもよ。あるある・・・」などという話を聞くと、「自分だけではない。もっと大変な人がいる。自分はまだ幸せかもしれない。」と励まされるのである。

  函館は高齢者の多い市だが、特に私の住む町では「じじばば通り」などど有難くない名称で囁かれるほど独居老人や高齢者だけの世帯が多い。
しかし、高齢者に優しい町でもある。
叔母が一人暮らしの時は、町内の民生委員さんをはじめ、ご近所で時折一人暮らしのお年寄りを訪ねて下さる方がいらしたし、電車道にあるお餅屋さんでは買い物に行く度、よく話し相手になっていただいたそうだ。お米屋さんに至っては灯油をポリタンクでとっていた頃、配達の際にストーブに入れてもらったこともあったという。
最近では私が迎えに行けない時、床屋さんに叔母を家まで送っていただいたこともあった。

  そしてこんな感動の出来事があった。
或る寒い晩のこと、急にストーブの火の勢いがなくなり、ぽやぽやとしか燃えなくなってしまった。
心細い一夜を明かした翌朝、灯油を頼んでいるガソリンスタンドに電話で問い合わせてみることにした。
北海道では室外に灯油タンクを設置している家が多いのだが、表の200リットルのタンクはまだメモリ半分といったところだった。
これはストーブ本体の故障か?とすでに雪が降り始めているこの季節、思いっきり嫌な予感!
人間空腹は我慢できても寒さには耐えられない。
私たちはまるで“マッチ売りの親子”にでもなった気分だった。
遠赤外線のハロゲンヒーターはあったが、部屋を暖める役には立たなかった。
新潟で被災している方々のことが思われた。
同じような境遇に身を置いてみなければ、本当の人の辛さは実感できないものだ。
NO.49に続く
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