迷いの窓NO.41
介護の部屋6
2004.9.16
  心穏やかな日々が続いている。
叔母はある時を境に、一日何度となく繰り返していた通帳確認をしなくなっていた。
どうやらその不可解と思われた行動も、自分に万が一のことがあった場合、残された私が困らないように自分なりにきちんと整理をしておきたかったらしい。
「そんなことしなくていいのに!」と叔母の気持ちに熱いものが込み上げてきた。

  さて、叔母と私は今、一つの締め切りを抱えている。
今年は二人揃って宮中歌会始の詠進歌を送ることになったのである。
17歳から歌を詠んでいる叔母は過去に幾度となく送っているが、勧められるまま私も初挑戦することに・・・。今年のお題は「歩み」
例年たくさんの詠進歌が宮内庁に寄せられるそうだが、そんな話をしていたある日のこと。
「歌が選ばれて、宮内庁から連絡があった夢を見たんだよ。」という叔母に
「あら、まだ歌を作る前から?」
「その時には、私の付き添いであなたも行くのよ。」他愛のない会話をして私たちは笑った。

「短歌はやらないのかい?歌はいいよ。誰の邪魔にもならないし、自分の気持ちを素直に詠むだけ。人に言わなくても、歌でどんなに自分が慰められるか分からない。」と叔母は言うが、
三十一文字の中に思いを表現するのはいかにも難しい。

私も過去に何度か歌でも・・・という気持ちになったことがあるが、それは“心ときめくこと”があった時。
今年の春、不意に歌を詠みたい心境に駆られ、叔母に添削をしてもらったことがある。
<さては、歌詠みに心の襞を看破されてしまったか?>と思うと、さすがに気恥ずかしい思いがした。
これから歌を詠むためには、疑似でも“恋する気持ち”を持続せねばなるまいか?
それにしても今風にヨン様ファンの“ソナチアン”というならまだ可愛げもあるが、困ったことに任侠道を貫く“ヤクザ系”が好きな私なのである。

  叔母は最近熱心に日記をつけている。
読んだり書いたりするのは好きな方であったが、やはり「物忘れ」を自覚してのことらしい。
2人の歌は出来た。  あとは書式に則って毛筆で清書するだけである。
未発表に限るということなのでここでは公開できないが、叔母の見た夢が正夢となることがあれば、来年の歌会には宮中に参内しているかもしれない。
叔母のことを詠んだ私の歌を、叔母は日記の中で「最高です!」と合格点をつけてくれて、あの世まで持っていくという。

  あの世まで・・・は当分こないことを願っているが、前々から依頼されている叔母との約束を私はそろそろ果たさなければならないと思っている。
それは、叔母が5年前に亡くした姉を偲んだ歌集を作ること。
まとまったら手作りで製本することを約束していた。
しかし、「これが出来たらいつ逝ってもいい。」というので、「急ぐことないよ。なるべくゆっくりね。」と取り掛かることを先延ばしにしていたのである。

  叔母は悲しい時にしか歌が生まれない人である。
お題「歩む」の歌は前向きな歌となったが、追悼の歌集にもやはり生きる希望を感じさせる歌を詠んでもらいたいというのが、私の願いである。

  近頃そんな叔母を前向きにするような出来事があった。
7月から私の通う朗読教室のお仲間になった女性との出逢いである。
新婚さんの彼女は、ご主人の転勤で函館に引っ越してこられて日が浅い。
家もご近所だということが分かり、帰る道すがら「イカ」の話になった。
函館はイカの町!夏はイカの季節だと言うのに、札幌生まれの彼女はイカのお刺身を作られたことがなく、まだ函館に来てから一度も食べたことがないというので気の毒になってしまった。
私もイカに関しては叔母に任せているので偉そうなことは言えないが、「じゃあ叔母に教えてもらう?」という話になり、我が家で「イカ刺し講習会」を開くことになった。

彼女は少しお話をしただけで、素直で純粋なお人柄を感じさせる方だったので、私の予想通り叔母は一目見て気に入ってしまったようだ。
叔母は俄かにお料理教室の先生になり、いつもにまして背筋を正して、初めての講習会を楽しんでいた。
その夜、彼女からは早速手作りのイカ刺しをご主人に出して喜ばれたというメールをいただいき、  翌日もイカを買ってきて練習するという熱心ぶりに叔母も感心していた。
<誰も知る人のない土地で、出逢ってすぐにイカのさばき方を教えていただくなんて!>と感激されていたが、叔母の嬉々とした様子を見ると、むしろこちらが感謝したい気持ちであった。

  殺伐とした事件の絶えない世の中である。
親切を疑ってかからなければならない昨今、人と人との交わりは希薄になる一方である。
「烏賊は買わずに漁師からもらう。人情の町函館は今も変わっていない。」朗読講座の作品の中にこんなフレーズがあったが、素直な気持ちで互いに心を開けば、意外にも身近なところで人に幸せをもたらすような交流が生まれるものかもしれない。

  必要とされることが、人を元気にする。
ある時は短歌教室の、またある時は料理教室の先生。
次は「イカの塩辛作りの講習会」と、叔母はますます張り切っている。
迷いの窓 メールへ