迷いの窓NO.40
重陽の節句
2004.9.6
  9月9日は「重陽の節句」である。
私はこの風流な行事が失われていくのを寂しく思っている。
こう言えば、私をよく知る友人には「好きなお酒に菊の花を浮かべて飲みたいだけじゃないの〜?」と突っ込まれそうだが・・・。

  重陽とは、中国の陰陽道で奇数を陽、偶数を陰の数とすることから、奇数の最大値、つまり陽の究極の数である9が重なるこの日を最も縁起のよい日として、不老長寿を祝うようになったものである。
「重九」とも呼ばれ、日本では天武天皇の14年に「菊花の宴」が催されたのが「重陽の節句」の始まりと『日本書紀』は伝えている。
五節句の中でも最も重要な節句とされているのだが、別名「菊の節句」と呼ばれるのに、新暦では9月に菊が咲かないことも、この節句が忘れられることになった原因の一つと考えられる。

  あるいは、9という数字が日本人にとって必ずしもよいイメージではなかったためかもしれない。  4と9という数字は、「死」や「苦」と同音なので日本人には疎まれる傾向にある。
日本には昔から「言霊信仰」があり、音の中に悪い意味があると悪い事が来ると考えられたことから、すでに平安時代には「言い替え」ということが行われてきた。
例えば植物の葦(あし=悪し)を「よし」と、果物の梨(なし=無し)を「有りの実」と呼び、殿上人が持つ笏(こつ=骨)を「しゃく」と読み替えてきたのである。

  京都には「配膳さん」と呼ばれる、袴姿で料亭の懐石料理や正式なお茶事での配膳、下足を生業とする人がいる。
葬儀社でも寺院式や自宅葬のとき、会葬者の接待や下足係りを依頼するのだが、ある時、配膳さんが4と9の番号のつく下足札を外して渡しているのを見て、そのこだわりに驚いた事がある。

  この数字の持つイメージは言霊信仰とともに、同音異義語の多い日本語を使う日本人の記憶に深く刻まれてきた独特の風俗習慣ということが言えるであろう。
そんなところから、9が重なるこの「めでたき日」も定着しなかったのかもしれない。
現在では京都上賀茂神社の烏相撲神事や九州で「おくんち(お九日の音便化)」と呼ばれる祭りにその起源を窺い知ることができる。

  さて、「菊」は中国では四君子柄(菊・竹・梅・蘭)に数えられる吉祥文様である。
中国からもたらされた菊は、古来より春の桜、秋の菊として歳時記にも登場してきた。
また、ルーズ・ベネディクト著『菊と刀』の中では菊作りに秘術を尽くす日本人が紹介され、菊花展や菊人形等で愛でられて、今や日本独自の文化を象徴する花になったと言える。

  重陽の象徴である菊は昔から長寿の効用があるとされ、食用や生薬、薬湯として使われてきた。  花弁が舌の上でとろけると絶賛される食用菊「阿房宮」は、泰の始皇帝が美女三千人と暮らしたと言われる宮殿の名称で、不老長寿の霊薬を求めた故事にちなんだものである。

  薬湯にはマーガレットに形がそっくりな日本の野菊の一種である「リュウノウ菊」が使われる。
香料の竜脳に似た芳香があり、その効用は血行を促進して老廃物の代謝を促すというから、若返りの妙薬として珍重されたのもうなずけるというものだ。

  重陽の節句に欠かせないものとして、「被せ綿(着せ綿)」と呼ばれるゆかしくも麗しい名称の風習があり、「紫式部日記」や「枕草子」にも描かれている。
9月8日の夜、菊の花に真綿を被せておき、9月の朝に菊の香りと露を含んだ綿で肌を拭って老いを捨て去り、長寿を願うというもの。
江戸時代の文献によれば、白菊には黄色の綿、赤菊には白の綿、黄菊には赤の綿をそれぞれ着せる習慣があったという。
紫の上の一周忌が過ぎた重陽の節句に光源氏が詠まれた歌は、在りし日共に過ごされた「被せ綿」の情景を偲ばせる。
     もろともにおきゐし菊の白菊も一人袂にかかる秋かな

  菊の香りは、不眠や頭痛に効果があるといわれ、重陽の日に摘んだ菊の花を乾燥させて枕を作る風習もあったという。
好きな人の夢を見ることができるという言い伝えがあり、女性から男性に贈る「菊枕」には特別な意味があるとも・・・。

松本清張氏の小説「菊枕」のモデルと目される俳人、杉田久女はたくさんの菊枕の句を詠んでいる。
果たしてどのような思いで、菊花を摘んだり、干したり、枕に縫い上げたりしたものか?
何事も「かたち」にする過程にこそ、人生の楽しみが見出せるものかもしれない。
     ぬいあげて菊の枕のかをるなり    久女

  さて、その思いの丈を託した菊枕からはどのような香りがするのであろうか?
様々な悠久の浪漫に浸りながら、重陽の節句はやはり「菊酒」の盃を傾けることにしよう。
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