迷いの窓NO.38
消えゆくもの
2004.8.7
  今、夢中になっている一冊の本がある。  書名は『数え方の辞典』
この本を読むきっかけになったのは、ある人から「木魚はなんて数えるの?」と訊かれて
「特別な数え方って、あったかしら?」と答えに窮してしまったから。
「法具」の研究などしているから、分かって当然と思われたらしい。
迂闊なことに、数え方までは注意を払っていなかった。
「助数詞も知らずして何の研究ぞ!」と反省させられる出来事となった。
人間、知らぬ事と学ばなければならぬことが、山ほどある。
一生涯、勉強し続けなければならぬようである。

その後、仏具店やお寺関係者に尋ねるなどして調べるのに骨折られたようだが、数日が過ぎたころ、「答は『基(き)』でした。」とメールが入った。
答を聞いてなるほど、然もありなんと思った。

  「基」というのは据え置くものに使われる助数詞である。
「基」はお仏壇、柩、墓石、香炉(据え置きのもの)にも使われる。
黄檗宗の宗祖隠元禅師が伝えたといわれる「木魚」。
黄檗山萬福寺の本堂にある梵音具としての「木魚」は、とにかく大きい。
数え方の辞典には、<木魚は「個」、「枚」と数える>とあった。
木魚の原型は大きな鯉形をした木製品で、禅院の食堂、庫院に水平に吊るされ、木槌で打ち鳴らして衆を集めるために使われた魚鼓(ぎょく または ぎょこ)である。
木魚鼓、魚版、魚(もくぎょく、ぎょばん、ぎょほう)とも呼ばれた。
形が平面的なので、「枚」と数えるのは相応であろう。
禅宗で使う大きな木魚(玉鱗)が「基」ならば、おなじみの「ポクポク」と音を奏でる小さな木魚は、「個」とも数えられるようだ。

  これを機会に、他の法具についても調べてみた。
昨年の春、弘法大師入唐1200年を記念して、山の正倉院と呼ばれる高野山の貴重な仏像仏画、密教法具等が公開されたが、出品目録に次のような助数詞をみることができる。
仏像は「()」、密教法具である金剛杵(こんごうしょ)金剛鈴(こんごうれい)輪宝(りんぽう)華瓶(けびょう)は「(こう)」、金剛盤、(けい)、鏡は「面」など仏教美術品や法具の数え方は難しいが、興味深いものがある。

  物の数え方とは不思議なもので、同じ物でも生死や形状、あるいは数えられるうちに、また親しみが深まると、数え方を変化させる。
魚は生きている間は「匹」だが、魚屋さんの店頭に並ぶころ、つまり商品化されると「尾」、細長い魚(サンマ、イワシ、タチウオ等)は「本」、ヒラメなど平面的な魚は「枚」、また加工の状態で助数詞を変えるものもある。(串、連、枚など)

  癒し効果が期待できるとして注目され、瞬く間に人気となったロボット犬「アイボ(AIBO)」の数え方が面白かった。
ロボット犬一点から、一台、一匹と商品や機械からペットの一種として認識され、身近な存在になるに連れ、数え方までもが短期間のうちに変遷していったからである。

  セルフサービスの世の中になり、対面販売を必要としないお店が多い昨今、「お豆腐一丁、パン一斤などと買い物をすることが少なくなった。」と助数詞の衰退を憂える新聞のコラムが目に止まった。

  衰退してゆくのは助数詞ばかりではないようだ。
最近気になる言葉の一つは、「すみません」を「すいません」と表現する人が多いこと。
口語的には誤りとは言えないのだろうが、メールなどで文章化して表記されると、どうしても違和感を覚えてしまう。
まして、使われるのが軽い意味にせよ「ゴメンナサイ」の場面なのだから、なおさらである。
もっと驚いた事がある。
叔母の病院へ付き添っていくと、病状や既往症などを尋ねられることがある。
質問の初めに必ず聞かれるのが、病人との関係や家族構成。
その時である―「それでは、あなたは姪さんですね。」と若い看護師さんが返してくる。
つまり「姪御(めいご)さん」と言えないのだ。
何人もそういう人がいたから、言葉を知らない若い人が多いのだろうと思う。
確かに人の尊称は多様であり、弔電の中でしか耳にしないような「ご母堂、ご尊父」などはあるが、日常使われる呼び方も分からないのでは、礼儀を欠き、コミュニケーションにも支障をきたすのではないか?

<物の移り変わりが激しい時代では、「個」や「つ」に代表される万能で包括的な数え方が好まれる傾向にある>というが、豊かな数え方や日本語が失われていく様は、取りも直さず、日本人の豊かな表現力や想像力、ひいては自然の機微に感応する“心”まで消えゆくような寂寥感に襲われてしまう。

  さて、夏といえば「怪談」。
私の子供のころはお盆が近づくと必ず、「四谷怪談」や「牡丹灯篭」などがテレビで放映され、CG映像を駆使したホラーものより、よほどリアルで怖かった。
小泉八雲が描いた幽霊の現れる日本的情緒も失われてきたようで、寝苦しい夏の夜は、一層寝苦しいものになっている。
夏の夜、窓を開け放って「蚊帳(かや)」を吊り、団扇(うちわ)の音をパタパタさせながら休んだ記憶がある。
蚊やり(蚊取り線香)から立ち上る除虫菊の香りが、脳裏に「夏」を刻みつけていった。
「蚊帳」に入るときは、蚊を中に入れて吸血されぬように上手に滑り込むのが楽しく、必要もないのに出たり入ったりして叱られたものだ。
「蚊帳」は「一張」、蚊取り線香は「一巻」、持ち歩く「牡丹灯篭」は「一挺」、幽霊は「一人、二人・・・」足がないのにカランコロンと下駄の音がする・・・などと想像を巡らせているうちに、背筋にスーと冷たいものが通り過ぎたような気がして、一柄の団扇を手にしたまま、久しぶりに心地よい眠りについてしまった。


<参考:助数詞>
仏壇・・・基(商品としては本、点とも数える)
柩・・・・・基
遺体・・・体(身元不明の時)
           人(身元判明以降)
霊・・・・・位(死者の魂)
           柱(英霊)
位牌・・・柱
数珠・・・連
袈裟・・・領(うなじ、首、襟をもってたたんだことから)
蝋燭・・・本(細い蝋燭)
           個(立方体・円柱の太く短い蝋燭)
           挺・丁(燭台にのせて手に持って使うもの)
香炉・・・基(据えて使うもの)
           合(蓋のあるもの)
仏像・・・躯・体
墓石・・・基
墓標・・・本











  <参考文献>
 「数え方の辞典」飯田朝子著(小学館)
  図録「空海と高野山」
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