迷いの窓NO.36
介護の部屋5
2004.7.20
  入院している時には「退院」という目標があった。
在宅介護の長いトンネルは、私のように何事も前向きに考えたい人間にとっては、逆に落とし穴となる。  後退することばかりで一歩の前進ができないからである。
知らず知らずのうちに頑張り過ぎていたのか、正直にも身体の方が「腰痛」というシグナルを送ってきた。
腰が痛いなどという経験のない私であったが、「ヘルパーさんの職業病でもあるのですよ。介護疲れかも?」と先生。
苦行には及びもつかぬが、何事にも極端に偏らず、中程を貫く「中道(ちゅうどう)」が大切のようだ。
それでなくても敏感になっている病人を心配させないとも限らない。
「出口のないトンネルはない」と友人が励ましてくれたが、まだトンネルに入ったばかりなのだから、持久力を養っておかねばならない。

  7月に入った或る日、気分転換にと叔母を湯の川温泉へ誘った。
風はあったが、夏らしい陽射しが差し込む露天風呂は最高だった。
ここ函館湯の川温泉のホテルは、宿泊客が観光しているお昼下がりの時間帯から千円程の料金で温泉を楽しめるところが多い。
早い時間に行くとほとんど貸切ということもあり、贅沢な気分を味わえる。

  楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまう。
叔母はまた苦悩の中に魂を彷徨させているようであった。
以前は美味しいものを食べるだけで幸せそうだったが、今は溜息混じりである。
何か叔母の心が前向きになることはないか?私はそんなことばかり考えている。

  ある時は洋服を買ってきてみた。
趣味やサイズは承知しているから、選ぶのもまた私の楽しみなのである。
いくつになっても女性は新しい洋服を試着すると顔を輝かせる。
出掛けたいという気持ちが芽生えたら、こんなに嬉しいことはない。

  またある時は、近くの100円ショップで一緒に買い物をした。
当節、大手スーパーがフロア―をリニューアルして100円ショップをテナントにするのが大流行。
叔母は目を丸くして、あれもこれもとかごに入れたが、その中に白地に青い桔梗の絵付けをした陶器製の風鈴があった。
早速家へ帰って窓辺に吊るすと、涼やかなかわいい音がする。
叔母の歌を書いた短冊を吊るしてもらうことを約束して、音がする度「あっ、また鳴ったね。」と声も弾んでいる。  ささやかだが、こんな他愛のないことさえ幸せと思える。

  そしていよいよ大きなイベントの日がやってきた。
ちょっとドレスアップして、コンサートへ出掛けるのである。
盲目のテノール歌手、新垣勉さんの「おしゃべりコンサート」。
音楽療法というのもあるし、彼が教訓として伝える「人生に無駄はない。オンリーワンの人生を生きよう!」というお話が、素晴らしい歌声と共に魂に響き、勇気を与えてくれることを期待していた。

叔母への何よりのプレゼントとなったのは、藤浦洸作詞、高木東六作曲「水色のワルツ」。
この曲を聴いたとき、「思い出が帰ってくるようだ」と若き日の記憶を蘇えらせたのである。
叔母の歌声はこれまで聴いたことがなかったが、家へ戻ってからも「今日のコンサート良かったね〜。大好きな歌を歌ってくれたもの。」と、古き良き時代の追憶に耽るように、いつまでも口ずさんでいた。
哀愁を漂わせる曲だったが、美しい日本の歌詞がそこにはあった。
特に2番の歌詞がお気に入りだという。

♪ 月影の細道を  歩きながら
    水色のハンカチに  包んだ囁きが
    いつの間にか  夜露に濡れて
    心の窓をとじて  忍び泣くのよ

叔母の記憶に深く刻まれたように思われたが、たとえ忘れ去られても、二人で同じ感動を共有したこの瞬間が真実なら、それでも構わない。
そんなふうに思えるようになったとき、私の腰痛も嘘のように消えていた。
今なら背伸びせずに、素直にあるがままの自分を受け入れられる気持ちにもなれた。

ラストソングの「千の風になって」、アンコール曲「さとうきび畑」を聴きながら、光を奪われ歌に救われた壮絶な人生を歩んだ歌い手の魂が、聴く者の心を救っていくのを感じていた。
平和への祈りを込めた声量のある歌声は、今も耳から離れない。
それは確かに、忘れ難い私と叔母の大切な思い出の一ページとなった。

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