迷いの窓NO.35
介護の部屋4
2004.7.19
  一見何事もなかったかのように、いつもの日常は戻りつつある。
退院以来、弱り目に祟り目のように、試練が叔母を襲った。
抵抗力が無くなっている者にとっては、風邪の熱さえも命取りになりそうであった。
熱が下がると口内炎。食べることだけが楽しみな病人にとって、口の中が痛くて食べられないというのは酷である。
お次は歯。80歳を過ぎてもほとんど自分の歯で食べていたことが自慢だったが、ここへきてガタガタになった。
心臓疾患のために心電図をつけながらの抜歯となり、治療にしばらく時間を要しそうである。

  あまりにも具合が悪かったために、かかりつけのお医者様に往診をしていただき、随分助けられた。
まるで「白い巨塔」に出てくる里見先生のような、今時貴重な善意のお医者様である。
睡眠時間は平均3時間とか?
ご専門以外のことにも精通されていて、どんな些細な質問にも真摯に答えて下さる頼りがいのある先生である。
「いつでも遠慮なくお電話下さい。」とおっしゃるが、流石に夜半ともなると気が引けてしまう。
クリニックには入院設備もあり、日曜日でも何人かの患者さんが点滴を受けに通院している。
そうそう、コラムNO.19「心熱き人」の草稿のきっかけになった刺青の患者さんも、先生の優しさに引かれて病院の近くに引っ越して来られたのだという。

クリニックの他に「医療と介護は一対」という理念から、函館で唯一24時間介護付きの老人ホームも、難しい認可をクリアーして開業された。
1階スペースはショートステイも受け入れており、叔母も喘息の発作で在宅介護が困難だった折、お世話になったことがある。
施設の名は「ベーネ函館」。イタリア語で「よりよい」とか「善」という意味だそうである。
先生のお名前「善樹」から取ったものと思われるが、正に名は体を表す命名である。

  この病院のスタッフの素晴らしいところは、言葉がけの良いこと。
先生の志の高さが浸透しているのだろう。
看護師さんや事務員さんをはじめスタッフの方が患者さんに接する時、温かい言葉や自然なスキンシップ、ボディーランゲージで、見る見る間に患者さんの表情が輝くのが分かる。
待合室でそういう光景を目の当たりにすると、見ているこちらの方まで癒される思いがする。
点滴を持って、往診してくださる看護師さんには、病人も介護する方もどれほど力を与えられたか分からない。
これから本当に必要とされるのは、こういう心のケアーを大切にした医療であるとつくづく思った。

  病状が落ち着いてほっとしたのも束の間、身体が元気になってくると今度は老人性うつ症状と、痴呆による物忘れ症状が進んでくる。
病気の高齢者を抱える家庭ではどこでも事情は同じようで、病院でいつもお会いする付き添い家族のお一人も、「うちの母もすぐに落ち込んでしまい、毎日が大波、小波。」と話されていた。

今もっとも頭を抱えていることは、「お金」に関する物忘れや記憶違いが甚だしいことである。
毎日通帳を確認する。  時には5分前に見て元の場所に戻したものを、見ていないと再度確認ということも。  そのうち通帳がもっとあったはずだ。預かっていないかと何度も尋ねる。
何故金銭のことだけ記憶に刷り込まれないか、不思議であった。
幸い物取られ妄想には至らずに、私を責めるようなことはない。

一人で気丈に生きてきて、少ないお給料の中から、コツコツと蓄積してきたものだけに気がかりらしい。  まして度重なる入院や、医療費の支払いで年金以上の出費があり、財産が減っていく不安が拍車をかけたのだろう。
入院中に新聞に掲載された一般投稿の川柳に、共感を覚えたことを思い出した。
「通帳の吐息聞きつつ病んでいる」思いは誰しも同じようである。

「うつ」の原因も最近どうも「忘れる」「なんだか頭の中がもやもやする」「分からなくなることがある」という自覚症状のために、「今まできちんとやってきたのに、自分が情けない。」という心の問題にあるようだ。  やんわりと、「神経内科へ行ってみる?身体の不調も案外心の問題が大きいのよ。そういう悩みを持っている人、多いんだから、特別なことじゃないのよ。」と促してみるが、もう病院は嫌だというので無理強いできない。

  そこでまた善樹先生に相談してみた。
「何か気がかりな事、ひっかかっている事があるのでしょう。」とヒントをいただいたが、解決の糸口は容易に見つからない。
「むしろ、そこでひっかかっている方がいいのかも?」と意味深なお言葉も。

パニック障害にも処方されるという、気持ちを楽にして意欲を高める薬をいただいた。
夕食後一錠の服用だが、ごく稀に興奮して眠れない人もいるというので、就寝時に鎮静作用のあるお香をたいてみる。
暗示のような効用があるのか、「やすらぐ香り」と喜んでおり、今のところ眠れているようである。

「お金」のこと以外はおかしなことを言わないのだが、問題が問題だけに私も心中穏やかではない。  しかし叔母の苦悩を思うと、今は毎日の日課のつもりで、通帳確認や叔母の問いかけに「変だね。困ったね。」と共感しながら、「妄想」や「思い違い」などという言葉で追い詰めないようにしている。(NO.36へ続く
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