![]() 自然の摂理 2004. 6.18 |
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「死」と同様に人間が遠ざけて葬り去ろうとするものに、排泄行為がある。 どちらも最も基本的な自然の摂理であるのに、口にするのも憚られるというのは、実に皮肉なことである。 よほど見たくなかったものか、藤原京時代にはすでに水洗があったというし、世界史的にも最初に出来たトイレのほとんどは水洗であった。 トイレ文化とは、人類の歴史や民俗学を知る上で実に興味深いものである。 トイレを意味する用語は数知れない。 ちなみに私の勤務したことのある百貨店では「三・三(さん・さん)」、他所では「仁久(じんきゅう)」というものもあった。 「こうやさん(高野山)」というのもトイレのこと。 高野山の金剛峰寺では生活廃水をトイレの下に流し、さらに外の川に流れて田畑の肥料や、魚の餌になるような食物連鎖が考えられていたというから、先人の知恵は感嘆の一語である。 日本のトイレ文化の発達は、農耕民族であったことと密接な関わりがあったようである。 平安時代になると、貴族は部屋に御簾や几帳で間仕切りをして「 樋箱の後方にはT字型や柵状の十二単や長裾を掛ける手すりがあり、「金隠し」の原型とも言われる。 その仕組みは 中宮の家庭教師役だった紫式部や清少納言も、もう少し身分が低く、あれほどの才気に恵まれなかったら、名もない樋洗として生涯を終え、あるいは史実に残る名作は日の目を見なかったかもしれない。それとも健康に関する「樋洗日記?」なるものが創作されていただろうか? その頃、一般庶民は垂れ流しか、川へ汚物を流していた。 現在京都の台所として知られる錦小路のあたりは「糞小路」と呼ばれていたそうで、あまりにも汚い通り名のために、時の帝が「錦」と呼び直させたという話も残っている。 末法思想が信じられていた当時の都は、現代では最も見たくない死体や糞尿が市井にあふれており、疫病の原因となっていたのである。 京都の夏の風物詩として有名な、鴨川べりに等間隔に並んで座るカップルを見るたび、1200年前にタイムスリップし、その下に腐敗した死体や汚物が流れている様や、三条河原や四条河原で晒し首にされた情景が浮かんできて、一瞬心は複雑な思いに捉われる。 しかし再び現実に戻ると、そこにはゆりかもめ(都鳥)が通い、鮎が泳ぎ、川床で夕涼みを楽しむ人々の姿がある。 水面に浮かんでは消える一滴の水は、悠久の歳月その中に自然を映し、人間の営みを宿し続けてきたのであろう。 人の「生」もまた、最期はその滴の中へ還ってゆく。 禅の修行においては、「 禅の公案の中に次のようなやり取りがある。 師 「仏とは何か」 弟子「糞 かきべらなり」 師 「悟りを開いたな」 もちろん次に「仏とは何か」と問われたら、同じ答えを返してはいけないというのが禅問答である。 凡人には良く解からぬが・・・。 それにしてもこの中に出てくる「糞かきべら」だが、現在のトイレットペーパー代わりに使われた木簡のことで、「 藤原京にも見られるが、戦国時代の遺跡から多く出土されている。 それはトイレの遺跡と断定する「三種の神器」の一つと言われている。 他の二器は、当時種まで食べられていた瓜等の「種」と「蝿のサナギ」だそうである。 さてその籌木、一般的には3cmぐらいの先をカッターナイフのように折って、次の人が使用する代物だったらしい。 昔は僧侶がお姫様のためにささくれをきれいにとって、ほっぺを撫でて痛くないか確認した上で差し上げた「マイ籌木」もあったという。 平安時代には病気の原因が物の怪と信じられていて、僧侶が祈祷していたというから、「ウンコさん」(何故か関西はさん付け)をチェックしていたことも考えられる。 一方、小便器に溜まったお小水、果ては尿石となって悪臭の原因となるが、尿療法で鬱病が治るという話もあるし、古代ローマの貴婦人たちは、歯を白くする為に最も濃いと言われているポルトガル人の尿を輸入し軽石と混ぜて歯磨き粉として使用していたというから、驚きである。 捨て去ろうとしているものの中にも、まだまだ人間にとって利用価値のあるものが、隠れているのかもしれない。 健康を損なった者にとっては、「快便」は非常に重要な意味を持つ。 現在病床にある叔母は、心臓疾患以前に胃癌の手術で胃の3分の2を切除しており、ドクターから少量頻回の食事を勧められているが、食べ物によってはすぐに腸管に辿り着いてしまうので、トイレへ直行ということもしばしば。 朝一番の会話は「お通じあった?」である。 「うん、あったよ。普通のお便だったよ。良かった〜!!」 と言う言葉にはいかにも生きていることの実感が感じられて、幸せそうな表情である。 世の中には自力で排泄することもままならぬ人もいる。 健康な時には気にもとめずに見たくないものとして水に流してしまう自分の分身も、禅の修行の一つであり、健康のバロメーターと考えるなら、葬り方も変わってくるかもしれない。 色、形良きものなら、一日の健康に感謝し、合掌して水葬しても罰は当たらないだろう。
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