迷いの窓NO.28
介護の部屋3
2004.5.25
  一ヶ月余に及んだ叔母の入院生活も終わり、介護の場は自宅へと戻った。
いよいよ在宅介護の始まりである。

  昨日思いがけず、室蘭に在する日本トータライフ協会のメンバーの方から「叔母様のご退院おめでとうございます。」というメッセージと共に
『御衣黄桜』(ぎょいこうざくら)の画像が添付されたメールを頂戴した。
晩春に咲くこの桜は、うぐいす色の気品のある衣に似ている事から『御衣黄(ぎょいこう)』と命名された。  
開花につれてわずかに緑、黄、ピンクと色を変える珍種の八重桜。
その名の由来にどのような思いがあったのか?「法衣の色」の研究から、興味を抱いていた。
江戸時代初期、京都の仁和寺で栽培が始まったと伝えられるが、道内で開花が見られるところは珍しく、偶然にも「株式会社 室蘭市民斎場 雲上閣」様と同じ町内に咲いていることを知り、4月に同社へ伺った際に、写真を入手したいとお願いしていたものである。
その後叔母が入院し、法衣の研究も小休止。この桜のことも忘れていた。
叔母が大好きな我が家へ帰って来て、ほっとしたところだっただけに、お心尽くしが嬉しかった。

  「病む貝に真珠は成る」という言葉がある。
これは阿古屋貝や黒蝶貝が異物(真珠核)を入れられることによって、美しい真珠を形成するように、病気になって今まで気付かなかった人の優しさやありがたみを知る、という意味である。
それは病人のみならず、看病や介護をする回りの人間にとっても全く同様である。

  私の介護を知った人から、激励やお見舞いのお言葉を頂戴したが、その中に「独り言」のご縁でメールを交わすようになった、九州の女性の存在がある。
彼女は久世栄三郎氏の「独り言」の過去ログNO.715に登場された方だが、現在お父様がご病気でご姉妹と共に介護に向き合う日々を送られている。
メールの内容にこんな一文が記されていた。
<「独り言」に出会えたことでより謙虚に誠実に仕事に取り組めるようになり・・・、出会いに感謝し、恥じないように邁進したい>
彼女は現在葬儀の派遣司会のお仕事をされている。
一方でバーチャルと言われるインターネットの世界にも、人生観を変えてしまうような素晴らしい出会いの真実があることに、心打たれる思いがする。

北海道生まれの私は九州には地縁がなく、仕事で別府と長崎しか訪ねた記憶がない。
こんな遠い空の下で、昨日まで見ず知らずの者同士が、人生の指針とも言うべき一つのコラムを通じて知り合い、互いを慮り、励ましあうことになるのだから、縁とはまことに不思議なものである。

そう言えば今年いただいた年賀状の中に、夫婦岩として知られる二見ヶ浦の写真を送ってくれた友人がいた。
関西で二見ヶ浦と言えば、御来光を拝むことで有名な伊勢を思い浮かべるが、それは筑前の二見ヶ浦の夕景であった。
玄界灘の荒波をのぞむ処にお住まいと言われていた九州の人と出逢う、暗示であったのかもしれない。  玄界灘に沈む夕日は感動的な美しさであるという。
いつの日にか訪ねてみたいと、遠い落日の海に思いを馳せる。

  またある時、京都の葬儀社で余すところ無くホスピタリティー精神を発揮されていた憧れの先輩も、ご両親の介護真っ只中であると聞く。
ご姉妹と協力されてのご介護と伺ったが、つくづく思った。
仕事や家庭を持ちながらの介護は想像を絶するほどの困難を伴う。
全国には親や身内の介護をしたくても、現実的に出来ない人がどれほど存在することか!
そのことを考えると、経済的な余裕はないけれども、身軽に叔母の介護に専念できる我が身は幸せであると。
しかし、その身軽さと引き換えに、私の代わりはないのである。
天上天下惟我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」ではないが、自身をかけがいのない存在と思わない限り、目の前の大切な人さえ、支えることなど到底叶わない気がする。

  「介護の部屋」に共感を覚えて下さる方がいらしたように、「自分だけではない」という思いが、人を強くする。御衣黄桜
多くの方の御蔭で、心の中の真珠玉はますます輝きを増しそうである。
「病む貝に真珠は成る」とは、優良企業のトップにあられる方の講演会で耳にした言葉。
そのお話は「何事にも感謝という謙虚な気持ちが大切。」と締めくくられていた。

皆様への感謝をこめて、室蘭の地球岬を思い浮かべながら、かの地に咲くお心尽くしの『御衣黄桜』の写真を、ここに掲載させていただきます。



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