![]() 続・伝えたいもの 2004.3.16 |
水引だけでなく包み方、表書きにも作法がある。 表書きは目録の代わりなので、例えば香料の下には数量を記入する。お金なら金額である。 数量を記すのは、あくまでも数えられるものだけ。 言わずもがな、お礼や気持ちはお金で表されるものではない。 自分の名前は中央を外して左側に記す。 これは茶道や香道で茶碗や香炉の正面を外す作法にも共通するものがある。 中央に堂々と名前を記し、裏にはご丁寧にも金額欄まで用意されている金包が常識顔でまかり通っている世の中で、上述のような表書きをしたら、逆に「常識のない人間」と思われることは必定。 孔子の 「紫の朱を奪うを憎むなり」ではないが、朱を理に叶った作法とすれば、意味のないことや間違ったことが常識となっていく様は、まさに野末の草木までもが紫草に凌駕されるのと同じではあるまいか。 話が表書きにまで及んだが、和紙をこより状にして糊を引き、水を引くという作業を繰り返して作られる水引に話を戻そう。 実はこの水引こそは雛祭りにふさわしいアイテムと言える。 桃の節句は、三月上巳の日(やよいはじめのみのひ)、古代中国で水辺へ出て災難を払う禊の習慣が、五節句の一つになったものである。 日本では、春の農耕に先立ち、物忌みや祓いの行事と結びついて、形代(身代わり)としてつくった人形で身体を撫で、穢れを移して川や海へ流す、流し雛が行われてきた。 後世、祓いの道具としての人形が貴族の女子の間で雛遊びとなったものである。 3月3日、TVのニュースからは「今日は女の子の節句です。」或いはかろうじて、「一月七日、人日を初めとする五節句の一つ」と伝えるものがあったが、行事本来の意味に詳しく触れるものはなかった。 節分には恵方を向いて巻き寿司にかぶりつき、雛祭りには人形を飾り、雛菓子やちらし寿司を食す。 経済効果につながる事のみが宣伝され、健やかな子供の成長や無病息災を祈る人の気持ちが置き去りにされていく。 私の母は行事を大切にする人であった。 お月見にはお団子を積み、湯気の上がるとうきびをお月様に供えた。 節分には邪気払いと共に、子供を喜ばせるイベントまで用意してくれた。 私の中には母の命が受け継がれている。 その母の命にもやはり祖母や祖々母や、そして遠い祖先の記憶が刻まれてきたのだ。 遺伝子を伝える子供のない私ではあるが、作法や行事の正しい意味と共にそこに託された人の思いを語り伝えることも、自分がこの世に生かされた一つの役目かもしれないと思うのである。 家の鍵につけたキーホルダーの鈴が、掌の中で鳴った。 それは友人から贈られた長野県飯田の水引細工が施されたもの。 水引ということが頭では分かっていても、水引アートに出合うまで、これが「あわじ結び」と言う名の日本の伝統的な結びなんて知識は全くなかったし、綺麗という以外さしたる関心もなかった。 レーチェル・カーソンではないが、「人間というものは本当に目で見ているようで、何も見ていない。最初から見えていないのと変わりない。」というのが実はこのコラムの核心である。 水引雛はそんな凡夫の嘆きをよそに、まるで命を吹き込まれたかのように、今日も微笑を返してくれる。 〜参考文献・引用〜 小笠原流礼法 小笠原清忠御宗家伝書より 「包」の話 小笠原充子三十代宗家夫人著「月間若木」より 飯田水引共同組合HP 伊予水引金封共同組合HP 日本相撲協会共同プロジェクトHP |
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