迷いの窓NO.18
新たな挑戦
2004.2.18
  昨年の10月から私が新たにチャレンジしているもの、それは「朗読」である。
今何故「朗読か?」と問われたら、その理由の一つは函館へ来てまもなく「経営管理実務」という3ヶ月間の職業訓練に通い、パワーポイントというツールを使ったプレゼンの演習を体験した時、「表現するって楽しいかも?」という気持ちが不意に心を捉えたからだ。
またその一方では、葬儀の世界で司会の第一人者として知られている久世栄三郎先生への憧憬が多分にあることは否めない。

  しかし、合唱や演劇、アナウンスなどを通して腹式呼吸を学んだことのない私にとっては、このハードルは高かった。受講している講座名「楽しい朗読」に反して、今のところは「苦しい」という方が、はるかに正鵠を射ている。
講座は発声練習から始まるが、声が全く前に出てこない。
五十音の発声ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オの前に口の形を確認しながら母音の発声練習をする。
ア〜エ〜イ〜ときて、1234で息をお腹いっぱいに吸い込んでオ〜と声を出した時だった。
あれ?何かに似ていると思った。

しばしのプレイバックタイム・・・。やがて記憶は確信に変わった。
京都の妙心寺の傍で下宿していた時、朝から聞こえてきたあの雲水さんの托鉢の声そっくりだ。
「ホオーホオー」と大声を上げての乞食行。
長く音を引くので、「オーオー」と聞こえる。
後に知ることになるのだが、これも雲水さんの発声練習に違いなく、「法・王法(ホ・オー)つまり仏法と王法=世法のもちつもたれつ」を説いているのだという。
禅の修行も朗読の勉強も似ているなあと思った。

  12月のある日、3ヶ月の成果をテープに吹き込む日がやってきた。
作品は好きなものを選べる。時間は五分以内。
私の選んだのは無謀にも芥川龍之介の「鼻」。
心理描写がふんだんに織り込まれたクライマックスの部分。
録音された自分の声を聞くことはめったになかったが、聞いた途端、がっかりした。
声に魅力がないことにもだが、込めたはずの感情が全く伝わらない、声に力もない。
先輩方はそれぞれ声自体に色があるし、目を閉じれば情景がまざまざと浮かんでくる。
聞くものを引き込んでいく魅力があり、独自の表現の世界を持っていた。
「伝える」というのは実に難しい。

しかし声を出して読むうち、今まで何気なく目で追っていた文字が、突然3D映像のように立体的に目に飛び込んできたかと思うと、言霊となって輝き始めるから不思議なものである。
努力だけで、果たして人に聞いていただけるほどになれるものかどうか、皆目見当もつかないが、そこは乗りかかった船。
雲水さんではないが修行と思って、せめて楽しいと思える境地になるまで続けてみようと思う。

  ふと白洲正子さんの文章の中にある「花筐(はながたみ)」というお能のお稽古の場面を思い出していた。
「これでどうだ」という気持ちがあるうちはダメなのだと言う。
能という型は稽古に稽古を重ね、無心になった時、初めて見る人に伝わるものがあるという。
えてして慣れすぎた司会が不快感を抱かせるように、何事も基本の上には「(くう)」というものが要求されるようある。

  3月末には、2度目の録音がある。
まだまだ基本のきの字の私だが、ステップアップできるように日々精進あるのみ。
いつの日か、聞き手の心の琴線に触れるような朗読が出来る日を夢見ながら・・・。
その最初の作品は、密かに「骨食い太郎」と決めている。


骨食い太郎表紙〜お知らせ〜
  コラムNO14「光の友」でご紹介させていただいた「骨食い太郎」の
著者、松下さん。
この度、昨年ご出演されたNHK「きらっと生きる」のダイジェスト版の
ベスト6に選ばれ、教育TVで放映されることになりました。
来る2月21日(土)PM6:00〜6:30です。是非お見逃しなく!!
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