迷いの窓NO12
文明と宗教
2003.11.30
  連日のようにトルコやイラクにおけるテロが報道されている。
日本ではイラクへの人道復興支援の名の下に自衛隊の派遣への準備が進めらる中、日本人外交官が襲撃されて犠牲になったという、悲しいニュースが今朝流れてきた。
自衛隊派遣について議論はされているが、肝心なこと、何故中東でこのようなことが起こったかに言及する政治家は日本にはいない。

  テロは平和を乱すもの、テロ撲滅は正義だとアメリカは主張する。。
日本人も世界平和、協力、正義などを振りかざされると、追従しなくてはいけないと言う国民性。
このような時、私は決まってあのタイタニックジョークを思い出だすのだ。
豪華客船が沈みかた時、女性と子供を救助船に乗せるために男性客を説得する言葉が、あまりにも国民性を的確に捉えているジョークである。
イギリス人へ「君たちは紳士だろう?」
アメリカ人へ「英雄になりたくないのか!」
そして日本人には、「みんな飛び込んでますよ」
これを聞いて苦笑してしまう日本人に事の是非を判断するなど果たして出来ようか?

   かつてメソポタミアという偉大な文明を育んだこの中東で、今何が起こっているか?
「それは一神教同士の対立である。」と梅原猛先生はその著書「梅原猛の授業 仏教」の中で言われる。
一神教だから当然他の神は受け入れられない。分けても排他的で戦闘的なのがイスラム教である。
その地でアメリカやイギリスはユダヤ人の国を建国する為にパレスチナ人を追い出し、イスラエルという国を造ってしまった。
イスラム教徒の多いアラブ諸国にとって、それは大きな紛争の火種であり、領土を侵略され大切な神を汚されたという憎しみの炎は決して消えることはなかったのである。

  思えばキリスト教は愛を説く教え。「互いに愛せよ」とは同じ信仰を持つ隣人だけではないはずである。
また「汝殺すべからず」とは、愛する者を殺されたら相手の命を奪ってよいという意味ではないだろう。
一方「慈悲」を説く仏教では、生きていく上での必要最低限の殺生しか許していない。
人の命をはかなくすることなど、もってのほかである。
そもそも多神教である日本には、他者の大切なもの、他の神を認める遺伝子が受け継がれているはずである。
しかし、今の日本が宗教に関して痴呆状態になっている感は否めない。
家の宗旨に拘わらずXmasも祝い、初詣もするのだろう。
それは構わないが、生きていく上で道徳を教えてくれる宗教や哲学が必要である事を学ばなければ、他者の大切にしている信仰のことも理解できないと思うのである。
その理解なくして、中東の紛争に介入していく事は危険以外の何ものでもない。

  いかなる宗教も人間が幸福になるためにある。
明日を信じる力がなかったら、文明は生まれなかった。
キリスト教もイスラム教も素晴らしい宗教である。
千年の長きに渡る反目も、民族や宗教を超えて「相手を認める」という優しさがほんの少しでもあったら、あるいはこのような紛争には発展していないかもしれない。

  テロは確かに許される事ではない。
しかし、「自爆テロ」の意味を良く考えてみるべきである。
それが間違っていても、命を賭しても守りたいものがあるから戦いを続けているのである。
彼らが聖戦という名の暴挙に走らねばならなかった原因を紐解いて、非武装で流血なき国際平和を唱え、対話の道を拓くことも、国際貢献の一つの方法と言えるのではないだろうか?
このままでは人類の文明が破壊へと加速化してしまう。

  暴力からは暴力しか生まれないし、更なる憎しみを増殖させるだけである。
強い国にコバンザメのようにくっついて、お金や人の命までも「みんなイラクへ行ってます」と言われて差し出すようなことがあってはならない。
今こそ世界へ向けて、正しい事をはっきりと表明できる国になるために、立ち止まって考える時である。 「国際協力を惜しめば、日本が困った時に助けてもらえない。」のごとき発言はあまりにも情けないと言わざるを得ない。
国民の代表にはもっと勉強していただいて、真理に目覚めた学識者や宗教者の声を聴き、国民の平和への祈りを真摯に受け止めてほしいと願う。
心の底から世界平和を求め、生涯を真の人道支援のために捧げられた尊い御霊のためにも、国民を大きな船に乗せて、座礁することなく彼岸へ渡す役目を担っている事を自覚していただきたい。

黄金伝説のジパングではなく、悟りの知恵で輝く日本であるために、そして人を殺す事を許さない国民であり続けるために・・・。

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