迷いの窓NO.110
柿色の記憶
(一幕)
2007.1.20
 
  東西、とーざい
一座高うはございますが、ご免被りこれより口上を申し上げ奉りまする。
皆々様にはご機嫌うるさしきご様子を拝し恐悦至極に存じ上げます。
まんまる亭ゴンさえもん師匠ままごんさんのブログへから「すいすい亭冠子」の名を頂戴致しました水冠の『毎度の窓』(落語作家サンサンてるよ師匠命名)ご訪問賜り有難く御礼申し上げる次第にございます。
HP開設より足掛け5年を数えまして未熟ではございますが、ますます“迷い道”を邁進する所存にござりますれば、ご贔屓様には今後ともにぎにぎしくご笑覧賜りますよう御願い申し上げます。

 
 正月元旦に『迷いの窓』の読者から見事な甘柿とつるし柿が速達で届けられて驚いた。
有難いことに昨年の夏、『窓』の更新のないことをご心配いただくメールから始まったご縁である。11月の下旬には素晴らしい句手紙も頂戴した。
達筆でのびやかな文字で書かれた味わい深い俳句はもちろんだが、葉書に描かれた渋柿の絵には暫し見とれてしまった。
途端に奈良の名物「柿の葉寿司」や京都嵯峨野の「落柿舎」の佇まいまでが蘇ってきた。
第一、北海道には柿の木がないのである。
だから柿の木のある風景は不思議な世界だ。
関西で暮らすまで「柿食えば鐘が鳴るなり・・・」なんて情景は専ら想像力を頼りにするしかなかった。そのようなメールを交わしていたので、贈り主のお心がいかにも風流に感じられた。

  柿は日本の秋を象徴する果物だが、柿のある地方では冬になって高い枝に一つだけ柿の実が残っているのを目にすることがあると聞く。来年もよい実がつきますようにと祈りを込めて残しておくのだという。「木守柿(こもりがき)」、「木守(きまも)り」と呼ばれ冬の季語にもなっている。
他に「布施柿」という言葉もあり、一つは鳥のために、一つは旅人のためにという意味があるそうだ。何れにしても智恵と慈悲にあふれた習慣ではないか?!

  お正月になると必ず青果店の店先にお目見えするのが干柿。鏡餅
白く粉を吹いた完全干柿の市田柿、飴色半生状のあんぽ柿やころ柿などがある。「柿が赤くなれば医者が青くなる」と言われるほど栄養価が高く日持ちのする干し柿は、なるほどハレの日には相応しいものだ。
鏡餅の最も基本的な形が“橙”と二つ重ねの“餅”と“串にさした干柿”とされている。
調べているうちにそれぞれを玉、鏡、剣に見立てた「三種の神器」を表しているという記述が目にとまった。「慶びを積み、輝(ひかり)を重ね、正しき道を養わんがため」記紀神話の「国譲り」の中で建国の理想として受け継がれたものという説である。
見立ての好きな日本人的発想で、串柿=剣というところが面白い。
「桃栗三年柿八年」と言い表されるように柿は実をつけるまでに年数がかかる代わり、長寿の木でもある。酒井田柿右衛門を生んだ佐賀の「伽羅柿」で樹齢180年、島根の「西条柿」で200年というものもあるそうだ。不老の柿は縁起物として「福をかき集める」 と掛詞になり、近年では串に通された10個の柿をいつもにこにこ(二個二個)仲睦(六つ)まじくと語呂合わせがされているようだ。なお、北海道にはお鏡に串柿を飾る習慣は見られない。

  さて、ここでちょっと寄り道を・・・。「(こけら)落とし」という言葉がある。
現在は新築した劇場の初興行の意味で広く使われている。
柿(こけら)とは木の削り屑、こっぱのこと。歌舞伎から生まれた用語だ。その昔、能楽の舞台のように歌舞伎の舞台にも破風(はふ)桟敷席の屋根があり、建築の終了に屋根のこけらを払って完成としたことに由来するというのである。
私は長い間、柿(かき)と柿(こけら)は同じ字だと思っていた。尤も混同されていた時代もあるらしい。酷似しているが旁(つくり)が違うのである。なべぶたの「かき」に対して「こけら」は縦棒が貫かれている。しかし、電子文字では全く見分けがつかない。「こけら」はWordでは変換できるが、インターネット上では表記されない。


  こけら落としの話が出たところで、そろそろ水冠劇場の幕を開けるとしようか?
今年最初の書き物は「柿色の記憶」。

  私の柿色の記憶は歌舞伎の中にある。助六
昔ながらの芝居見物とは違い、ちょっと敷居の高くなった感のある「歌舞伎」の起源は元禄時代に遡る。京都の四条河原に出雲の阿国の歌舞伎踊りが出現し、たちまち人々を熱狂させたのだ。
以来庶民の娯楽として根付いた歌舞伎の中から生まれた所謂歌舞伎用語が人々の粋と結びついて今なお生きている。
上述の「こけら落とし」もそうだが、もっと生活に密着しているもの、言葉としては「助六寿司」「幕の内弁当」「幕切れ」「十八番(おはこ)」などが挙げられよう。
(「おはこ」とは七代目市川團十郎がお家芸として十八演目を選び、台本を箱に入れて大切に秘蔵したことによる)

コンビニやスーパーでも当然のように「助六寿司」という名で販売されているのは太巻き寿司(または伊達巻)と稲荷寿司を詰め合わせたもの。助六が歌舞伎から来た言葉ということは知っていてもその意味は意外に理解されていないようである。
『助六』は「歌舞伎十八番」の演目にもなっている代表的な伊達男の名前だ。遊女揚巻との心中事件が歌舞伎や浄瑠璃で演じられるようになった。助六が紫の鉢巻を巻くことから巻き寿司に、揚巻を稲荷寿司に見立てたとも言われている。
ゆえに助六寿司という時は必ずこのセットなのである。
江戸っ子の洒落心から生まれたのだろう。
これを食するとき、秘められた助六と揚巻のラブロマンスに思いを馳せる余裕があれば、お寿司の味も一味違ったものになるかもしれない。

  『助六』は市川團十郎さんの襲名披露に必ず演じられてきた。
当代、十二代團十郎さんの襲名披露が行われたのは1985年。
京都南座の顔見世で「口上」を観た時のことは今でも鮮烈に私の瞼に焼き付いている。
荒事の伝統を継承する團十郎になるためにこの世に現れ、洗練されてはいるが初代團十郎の再来を思わせるような圧倒的な迫力であった。

  市川宗家の屋号は成田不動さん(成田山新勝寺の不動尊)所縁の「成田屋」。
シンボルカラーは「團十郎茶」である。柿渋と第二酸化鉄顔料である弁柄で染めた赤茶色で別名「柿色」とも呼ばれる。
襲名披露の口上では團十郎がこの色の裃で登場するのが決まり事である。
それもというのも歌舞伎十八番の『暫』の中で主人公が着るのが成田屋の定紋である三升大紋の柿色の素袍であるところから、市川家の大名跡「團十郎」が受け継ぐ色でもあるからだ。
その様子は役者絵として多くの絵師の手で生き生きと描かれているが、わけても鳥居清倍(とりいきよます)によって初代團十郎は力強く、「目玉の親方」と称された七代目團十郎は歌川豊国の画に際立った美しさで描かれている。
また成田屋の柿色は歌舞伎の舞台に使われる三色の「定式幕(じょうしきまく),/rp>」になり、歌舞伎だけでなく寄席演芸の引き幕として広く使われている。因みに他の二色は黒と萌黄色である。そうそう、永谷園のお茶漬けのパッケージでもお馴染みだ。サンサンてるよ師匠の「笑ってよ君のため〜に」のタイトルバッグにもなっているのでご確認の上、ご訪問下さいますよう。


  度重なる奢侈禁止令が出される江戸中期になると、庶民の着物は「茶色」「鼠色、「藍色」に限定され、実に様々な名称をつけられた色のバリエーションが生まれるのである。
役者人気と相まって「團十郎茶」が一層持て囃されるのもこの頃だ。
いかなる制約もものともしない民衆の創造力とバイタリティーに冠を脱ぐ思いだ。(NO.111へ続く
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