![]() 大地の恵 2003/11/19 |
今年もボジョレーヌーボーが11月の第3木曜日、世界で一斉に解禁となる。 11月15日解禁が厳守されていた頃は、日付変更線の関係で世界に先駆けて飲むことのできるわが国では、あたらしもの好きの日本人のボジョレー熱に拍車をかけたこともある。 ![]() この季節になると、私はボジョレーヌーボーが供えられたあるご葬儀の事を思い出す。 フランスのボジョレー地区で毎年の葡萄の収穫を祝う新酒として、樽ではなくマセラシオンカルボニックという早期熟成製法で醸造されるこの「喜びのワイン」が、悲しみの場所にふさわしくないような気がしたためかもしれないし、あるいはソムリエスクールに通ったほどワイン好きな私の興味が一層忘れ難い思いを抱かせたのかもしれない。 式場は会館であったので、お通夜の晩ご家族は近くの酒屋さんへワインを買いに行かれた。 選ばれたワインは時節柄店頭を飾っていたものらしく、ワイングラスは酒屋さんのご好意でいただいたと喜んでおられたご家族のお顔に、温かなご家庭が想像できるような気がした。 軽やかなルージュ色のワインが、グラスと共に故人のご遺影に寄り添うように供えらる様子を目の当たりにした時、私の脳裏に明日のご出棺がシュミレーションされた。 お柩の中にガラスなどの割れ物を入れる事は、火葬の際に危険性があるのでご遠慮いただいているが、それ以外はご遺族のお気持ちのままにされるケースが多かった。 勿論、地方のしきたりや宗教によっては異なるかもしれない。 ご生前愛飲されたお酒やビールがお柩に注がれる光景も稀に見受けられるが、私は如何なものかと疑問を抱いていた。 教義上大方の仏教宗派では仏弟子に成る訳であるし、キリストにパンは我が肉、ワインは我が血と言わしめたこの赤いワインが、聖水の代わりを果たすとも思えないからであった。 それにお酒やビールは独特のアルコール臭が立ち込める。 そこでこの時は、お別れの際に抜栓したワインを末期の水のようにそっとお口に含ませて差し上げる事にした。 それが正しいかどうかは解からぬが、少なくとも神聖なる領域が守られたような気がしていた。 当日は初七日の法要も同じ会館で営まれ、残りのワインはご集骨の間ボジョレーらしく冷蔵庫で軽く冷やし、お斎の膳に用意させていただいた。 故人をお偲びいただくせめてものよすがとなれば・・・と心の中で呟いたことを今でもはっきりと記憶している。 今年のフランスは猛暑のおかげで葡萄が太陽の恵みをいっぱい浴びて、貴腐葡萄のように糖度が上がり、特にボジョレーヌーボーは近年にない最高の出来といわれている。 ガメ種で作られるこのワインは品種としてはポリフェノール効果が若干劣るものの、ワイン好きなフランス人には心臓疾患も少なく、アルツハイマー病の発症率もワインを全く飲まない人と比較すると4分の一という報告もされている。 しかし人間に最高の贈り物を与えてくれた猛暑も、一方で病人や死者を出していることはやはり皮肉なことと言わざるを得ない。 生と死、喜びと悲しみはいつも表裏一体なのかもしれない。 そんなことを考えながらも、私はやはり今年のヌーボーに大いに期待を寄せながら、グラスに注がれた大地の恵に舌鼓を打ってしまうのだろうと思う。 産声を上げたばかりの初々しい香りに、今を生きていることの喜びを感じながら・・・。 |